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February 2016

February 28, 2016

ミシェル・スィコタ/フィリップ・ルイエ「ミヒャエル・ハネケの映画術」334冊目

映画をよく見るようになってから尊敬している、カンヌの最高賞2連覇の巨匠ミヒャエル・ハネケのインタビュー集。いったいどういう神の視点を持ってる人なんだろう?って思ってたので、興味津々でした。


この本はハネケの全映画作品についてひとつひとつインタビューを行った記録です。
インタビュアーは著者欄の二人の映画評論家、映画史研究者。きわめて深くこの監督作品を見ているし、それ以外の映画やフランス文化、歴史などの理解が深くて、それに比べると極東の私はほとんどイノセントな傍観者みたいなものです。インタビュアーがときに、監督に否定されることを覚悟しつつ、映画の解釈を試みると、案の定監督は「そういう見方もあるが、映画というのは観客それぞれが解釈するものだから」とくる。それにしては、演出スタイルはかなり細かく自分の理想をそのまま演じさせるもので、自由に演じることに慣れているアメリカの俳優などはかなり反発したらしいです。神の視点を持つ監督だから、鷹揚に構えて何でも笑って聞き流すかと思ったら、わりあい気難しい人かなと思いました。


・・・そこで思ったのは、めちゃくちゃ変わった映画を撮るアレハンドロ・ホドロフスキー監督と、話す感じが似てるなぁということ。かたやパルムドール連続2回、かたやカルトの帝王。二人ともアクが強くて万能感が強い印象です。ある意味二人とも、映画においては神。


この本で取り上げられてる映画は、日本では手に入らないものも多そうだけど、主要な映画作品はレンタルもしてるので、片っぱしから見てみようと思ってます。


February 19, 2016

森達也「放送禁止歌」333冊目

面白かった。
自分の身に迫ってくる、ぞっとするものもあった。


新宿バルト9の地下にある、Brooklyn Parlourっていう相当いけてるカフェラウンジには、写真集やら単行本やらいろんな本が置いてあって、読みながら時間をつぶすこともできれば、気に入ったものを買って帰ることもできます。
そんなこじゃれた店で、映画の後にワインでも飲みながらふと手にとったのがこの本でした。うそ~、なんでこんな本が。とも思ったけど、わたし以外のお客さんたちとも、意外といい出会いがあるのかもしれない。前置きが長くなりましたが、この本は社会情勢にほんの少しでも興味があると思っている日本の人みんなに読んでほしい、真剣な本です。


「放送禁止歌」といえば誰でも何曲か頭に浮かぶでしょう。「イムジン河」、「自衛隊に入ろう」、「竹田の子守唄」、「世界革命戦争宣言」、「君が代(キヨシローversion)」などなど。でも、”放送禁止歌リスト”ってものは、本当はどこにも存在しないんだって。自粛自粛で、勝手になにかの権威やなにかの権利団体を恐れてかけないようになっただけなんだって。わたし最近とみに、同じようなことがすごくたくさん起こってる気がして薄気味悪いなと思ってたんですよ。近隣諸国のことをやたらと悪く言う人たちや、そういう人たちをやたらと悪く言う人たち。仮想敵をでっちあげて吐く罵詈雑言を善意で転送し続ける人たち。なんか、関東大震災のあとに近隣の国の人たちが犯罪を起こしていると思い込んで攻撃していったのと同じことが起こりそうで怖い。考えることをやめて、「権威」とかと呼ぶそういうものを、調べようともしないで叩き続ける。"権威の壁の前に一介の卵である自分はつぶされる"ってことが基本にあって、その権威の存在を疑うところまで遡ることがない小説が、よく読まれる。枯れ尾花の正体を暴くより、幽霊を恐れていたい。幽霊を作り出すのも、コロボックルの実在を信じるのも人間で、信じなければ存在しなくなる。「権威なんて本当はどこにもなかったんだよ!だから憎み合うのは止めて!」なんてことを切実に思ってしまうのは、西洋かぶれの合理主義的考えなのかな?


もっとうまく説明できたらいいのだけど。
とにかくできるだけたくさんの人に読んで考えてみてほしい本です。
著者は凄い人というわけではなくて、すごく普通の人です。わたしやあなたと同じくらいだまされやすい、だまされてきた人が、たまたまあるきっかけで本当のことを調べ始めて、ちゃんと関係者に会って話したらあっけないくらい本当のことがわかった、という本。だからこそ説得力がある、とわたしは思います。


ゼミの先生にはいつも「原典に当たれ、臆さずに本人に会いに行け」って怒られたものでした。それをするのとしないのとで、こんなに違うんだということをまた思い知らされました。


February 14, 2016

マリー・ンディアイ「ロジー・カルプ」332冊目

中南米の文学に興味があるし、小野正嗣が訳したフランス語の現代文学ということで、読んでみました。
そもそも小野正嗣の小説が、わりあい読みにくい。場の描写が精密な分、大枠をとらえて筋を追うのが難しい、気がする。さらに舞台が、中南米のフランス領の小島に来た、終わってるフランスの一家という、日常とかけ離れた場所なので、とても難しい。


主人公のロジー・カルプというフランス女には、一本筋が通った部分が何もない。フランス人には気骨があるってイメージがあるんだけどな。彼女とそのできの悪い兄をやけに慕う現地人ラグランっていう存在は、どういう意味を持つんだろう。本能的に白人に好感を持ってしまうことを批判してるんだろうか。


不思議な味わいのある新鮮な文章で、あまり深読みせずに読み進めていくのが心地よかったけど、理解には程遠い読み方しかできませんでした・・・。


誰かこれ映画化して〜〜!


村上春樹「めくらやなぎと眠る女 」331冊目

図書館でたまたま手に取って借りてみた。
読んだことのあるものが多かった。もしかしたら、全部既読かも。
でも、読み返す面白さもある。星真一のショート・ショートみたいに。
(村上春樹の短編にはオチがないのが多いけど。長編もか)


アメリカで選ばれた短編を、英語版のタイトルを見ながら日本語で読むと、「そういえば『英語で読む村上春樹』って番組がありましたなぁ」などとつい思ってしまって、自分がアメリカ文化の中で生活してる英語ネイティブだったら、とうっすら想定しながら読んでる、っていう変な状況になる。
つまり、自分自身がどこかのビーチで退屈しながらペーパーバックを読んでるような気分。


この本を読んで人生が変わることは何もないけど、なぜかリゾートのような気分になれたわけでした。以上。


February 09, 2016

丸山俊一「すべての仕事は『肯定』から始まる」330冊目

著者は、「英語でしゃべらナイト」「ニッポンのジレンマ」「爆笑問題のニッポンの教養」、最近では「ニッポン戦後サブカルチャー史」といった番組で、常に私の知的好奇心を刺激し続けているNHKの敏腕プロデューサー。
そういう人がたとえば、あんまりオフィスにいなかったり、伝票処理が後手後手になったり、というようなこともよくあるものですが、発想もここまで鋭いとそれだけで食っていける。この発想はいったいどういうリサーチによるものなんだろうかとずーっと思っていたので、そのヒントをこの本で掴んでやろうと思いました。


結果:わかったような、わからなかったような。
なんでわからない気がするかというと、この本が主に就職活動中の大学生あたりを目指して書かれていて、その頃ぼさーっとバンドばっかりやってた私を思い出すと、とうてい届かなかっただろうなと思うから。
逆に、いい年になってから乱読を始めたので、今なら古典に熱くなる気持ちや、温故知新って意味もわかる。
あと、私は長年外資系で働いてたので、西欧的合理主義が基本ってところに染まりすぎていたり、開発製造業が長かったので、"ブツをきっちり製造してナンボ"という感覚がこの本にはなく、アイデア一発で(もちろんものすごいアイデアなんだけど)OKってなってることに、違和感を感じたりもするのです。


難しい本を読んで難しい言葉で語ったりすることって、いまどき男子でもやりづらいだろけど女子はなおさら、嫌われる勇気を持たなければやってられないんじゃないかと思う。オバさんならまだしもうら若き女子なら尚更。何を考えて生きるかも大事だけど、食べて飲んで風呂入って寝てという生活も大事だ。
こういう難しいことをずっと考えてきた人が、すごい番組を作ってるという成果を嬉しく思う一方、読書や思索といった高等なアソビをしていないときのこの人が、いまだまったく見えてこないことが不思議に思えたりもします。


20歳前後でニーチェにはまる、という感覚を想像してみたいので、彼が読みふけってきた本を数冊たどってみようかなと思います。