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October 2015

October 28, 2015

本谷有希子「ぬるい毒」311冊目

この人の作品に出てくるのは、”こじらせ女子”っていうんでしょうか。素直じゃなくて、他人との距離がとれずに、どんどんドツボにはまっていって、はまったままになってしまう強烈なネガティブさ。
でも、他の人の作品なら、そういう主人公は男にモテないものだけど、この人の主人公はみんな可愛くて男好きがする。”モテる”というのとは違うんだよね、利用されるけど大事にはされない。

この本で主人公「熊田さん」は、学生時代は”かわいいのにダサい”女の子で、クラスメイトのこともちゃんと覚えていないくらい周囲との関係が希薄。暇つぶしに彼女をからかって遊ぼうぜ、という元同級生たちに囲まれたり、リーダー格のわりと腹黒い他校のモテ男が、さらに踏み込んで彼女から金銭をせしめようと画策する。けっこう怖いですね、この男。どこの学校や会社にもいる、いじめのリーダーです。

この人の作品の中で、彼女たちは最後に、飛び出す。彼女たちには、相手を見抜く賢さがあって、騙されているんじゃなくてずっと観察していたのだ。(というのが、我慢を続けてきた自分への言い訳に聞こえないこともない。)ずっと調子を合わせてきただけなんだけど、このままでは本当に自分がダメになると自覚して、胸の内をぶちまけてその場を後にする。

「腑抜けども」は、そういう状況をとても強烈なモチーフをちりばめて描いている分面白かったけど、この本はもっとストレート。単純に騙されて、本音をぶちまけて出て行った。漫画をこそこそ描く必要もない。
爆発力は弱いけど、たまっている鬱屈もこちらのほうが少ない。こっちのほうが現実に近い。

主人公に自分を映す人も多いんだろうな。大概の人は、特にブサイクでも特別美人でもなくて、20歳そこそこならたいがいまあまあ可愛い。隙があれば若い男がどんどん寄ってくる。彼氏がいないのが問題というより、便利にされているんじゃないかと悩むことのほうが多い・・・って人もけっこういそう。

この先どういう作品を書いていくのかな、この人は。気になります。

October 27, 2015

本谷有希子「自分を好きになる方法」310冊目

どうも日本人らしいのになぜか「リンデ」という名前の主人公。
彼女が彼氏(のちに夫、その後もと夫)や友人とあらゆる小さなことでもめたり、すべてを他人のせいにしたりしながら成長?して、偏屈な独居老人になる様子を彼女の人生からぽつぽつ切り抜いたような短編集でした。

タイトルの意図がよくわからない。
主人公は当然(この著者にして)思い込みが激しくてちょっと人嫌い。自分のことが多分嫌いで、それは一生涯続きます。彼女は自分を好きになる方法を見つけられなかった、ことがテーマなのか?
なんだか自分の欠点を見せつけられているような気持ちになります。

印象的ではあるけど、胸に深く刻まれるものもなく、不思議な小説でした。

October 25, 2015

黒岩有希「ニキとヨーコ」309冊目

いま国立新美術館でニキ・ド・サンファル展をやっていて、それに合わせて作られたこの本も売店で売られていたので買って読んでみました。

October 24, 2015

本谷有希子「乱暴と待機」308冊目

卑屈で鬱屈していて不思議な世界。
「腑抜けども」と同じモチーフがいろいろ形を変えている。
かわいいのに卑屈な奈々瀬は、「腑抜けども」の兄嫁と妹のミックス?
兄は兄、兄の同僚の彼女=奈々瀬の友達は女優勘違い姉のマイルドバージョン?
面白いし不思議な小説だったけど、「腑抜けども」のほうがホラー漫画がからんできたりする分意表を突かれて笑えました。

本谷有希子「この映画すき、あの映画きらい」307冊目

やまだないとの映画感想本に近い感覚。
この人の原作の映画(腑抜けども、悲しみの愛を見せろ)がすごく面白かったので、きっと面白い人だろうと思って読んでみました。
予想通り、おおむね私と近い感覚でした。カワイイカワイイとか感動感動とかに抵抗を感じる、ひねくれたかんじ。
ただ、感想を書くために見たくない映画もわんさか見てるので、この人を理解する上ではいいけど、やっぱり私は見ないだろうなという映画も多いです。

October 20, 2015

田口ランディ「キュア」306冊目

仏教書みたいだった。
登場人物に作者自身の思いを語らせる部分が多すぎる小説は、おもしろくないし、エンタメ性がどんどん下がっていく。
それにしても、すっきりしてる。「コンセント」「アンテナ」「モザイク」という流れで、爆発して、それを少しずつ収めてきた著者が、独自のスピリチュアルの世界に突き進もうとしている。

この人にとっては、すごくいい、美しい流れだと思う。私のほうは共感度が下がってきてるのは、自分がまだ爆発もしきれないままぷすぷすくすぶってるからかもなぁ。このままノリでお遍路さんなんか行ってしまったら、納得しないままの人生になっちゃうのかな。

などと思いました。

田口ランディ「オカルト」305冊目

雑文集、なのかな。詩やエッセイのような文章で、そのときの自分をなんとかそのまま表そうとがんばっている。文章の表面は穏やかだし、表現は明るい。これがこの人の普段の感じなんじゃないかな。
だけど目や耳や口の穴が真っ黒く開いてそこからどろどろのものがこぼれてくる、ことがある。
この人は多分、すごく強い人だ。
恐ろしい出来事にあっても、真っ向から対抗しないし、なかったことにしてごまかそうとしないし、自分にできることを一つ一つ、1日1日、過ごしていく。
そういう強さを持ちたいもんだ、と思う。

October 19, 2015

田口ランディ「モザイク」304冊目

三部作の完結編だそうです。
今度はエログロは全くありません。少年と若い女性の強くて繊細な冒険ストーリー、という印象でした。
”まもなく渋谷の底が抜ける、渋谷は完全に電子レンジ化する”
というキャッチコピーですが、街を縦横無尽に駆け巡るのではなく、登場するスポットはスクランブル交差点と、歩道橋の上と、地下水路。と、渋谷上空。宗教的、精神的な内向きの世界が広がります。

が、小説の読後感は前2作と比べてあっさりしていて、「すでに煩悩が消え去ったあと」から始まった物語という印象でした。面白かったけどね。

October 17, 2015

田口ランディ「アンテナ」303冊目

一斉を風靡した「コンセント」に続いて書かれた、三部作の二作目。
すごい小説でした。
エロ、グロ、と呼ぶ人もいるかもしれない。でもこの人のエロスは人と人とのコミュニケーションであって、心じゃなくて人間の体のパーツを愛でるフェチの対極にある。
この小説のテーマは「家族の再生」だし。
この作家がもし男性だったら、エロではなくて血で血を洗うような殺戮を描いたかも?
私も女なので、暴力はないとしても、心を裸にして家族の再生に立ち向かえるか。
立ち向かわないと越えられないものがある、と認識することと、どんな家族になりたかったかをちゃんとイメージしてみることが、多分大切なんだ。みんなが生きてるときにそこまで考えられて、そういう話ができたらよかったんだけどね。でもこれからでも遅くない気がします。

田口ランディ「縁切り神社」302冊目

図書館の「ご自由にお持ち帰りください」コーナーにあったのを持って帰って読んだのですが、すごく面白かった。最近図書館は、リクエストの多いベストセラーばかりになって、こうやって放出される本のほうが面白いんじゃないかと思ってしまいます。

田口ランディの短編集は初めて読みました。表題作品は、自分と彼氏とが別れるようにと念じる札を「縁切り神社」で見つけて驚愕する話。ミステリーのようでミステリーではなく、この人のおはなしはどれも、結局のところ人と人の心をしっかりつないでいたいという熱い思いがベースになっているようで、強烈な表現が続いても読後感が暖かい。

この人の作品をもっとちゃんと読んでみたいな、と思いました。

October 04, 2015

パトリック・ノートン「能楽師になった外交官」301冊目

アメリ・ノートンのパパの書いた本。
娘の小説は、おそろしくアクが強いけどとても端正で文章が綺麗だと思う(翻訳しか読めないけど)。
お父さんの文章も、丁寧で綺麗で(これも翻訳しか読んでないけど)、明るく社交的。
若い頃にコンゴで4ヶ月間も人質になっていたこともあるというのに、常にユーモアを忘れず、きっと外交官らしい感じのいいオジさんなんだろうなぁ。

パパだから読んだのではありますが、これはこれとして、能楽の道にひょんなことから入門して、ひたすら精進していき、そのなかで様々な人たちと交わっていく様子を楽しく読みました。

おまけのような第二部「私の出会ったもっとも型破りな日本人、本田宗一郎」も、思いの外面白かったです。この人の伝記はいくつか読みましたが、別の視点から描かれていて興味深い。本田宗一郎が、外国の人からも敬愛されていたことや、奥さんがすばらしい内助の功だったこととか。

パパのコンゴ人質日記も読みたいけど、これは和訳が出ていません。英訳本でもせめて手に入らないかな・・・。

国立劇場10月歌舞伎公演「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」

今日、国立劇場で歌舞伎を見てきました。
演目は「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」。
歌舞伎は今までに数えるほどしか見に行ったことがない私ですが、今回のは今までに見たものと違って興味深い点がいくつかありました。
1 「通し狂言」であること。
歌舞伎ってどうしていつも「名場面集」なんだろう?と不思議に思ってました。通しでやると何日もかかるんだろうか、とか。前後篇合わせて5時間の映画でも、せっかく見るなら全部通しで見たいものです。今回頭から終わりまで通しで演じてくれることを、とてもありがたく思い、かつわかりやすく感じました。
そういう訳で昼の部・夜の部がなく、12時から4時20分まで、途中に休みをはさんで3部構成になっています。
2 スタンドプレイをするスターがいないこと。
スターが悪いとも、スタンドプレイが悪いとも思いません。でも好みをいうと私は、スターで見せるハリウッドの映画より、知ってる役者がひとりも出てないけど見応えのある、BBCのドラマが好き。今回の演目では、まず「役者さんが全員うまい!」と思いました。若い人も若くない人も演技が落ち着いてこなれていて(初日なのに!)、唄や楽器も含めて、出演者がお互いの間合いをよく合わせながら演じていて、舞台全体をよくしようという思いで1つにまとまっている、と強く感じました。
『歌舞伎って、派手な隈取で頭にトゲトゲをつけた人が出てきて、ひたすら大見得を切るんでしょう?』と思っている人がいたら、見てみてほしい、と思います。
3 意外にも現代劇に近く感じられたこと。
(一部ネタバレ・・・だけど古典なので言ってもいいよね?)
頭から最後までストーリーが語られることや、全体としてまとまりがいいことは、監督という強いリーダーのいる映画やテレビドラマでは普通なので、普段歌舞伎を見ない人ほど違和感なく見られる演目なのではないかと思います。
それから、あとで「それは古典的な演出なのだ」と聞いて意外に思ったのですが、「大詰め」と呼ばれる第3部の殺しの場面で、そこだけ時間の流れが自然ではなくてスローモーションになるのです。血がどばっと出たりしないし、大げさに苦しんだり叫んだりして倒れる人はいません。それが様式なのだそうですが、映画などで、あまりに陰惨な場面のリアルさをオブラートで包んだりするために、そういう映像編集を行うことがあるのとよく似てると、私は思いました。
4時間も寝ないでいられるかしら〜と思ったけどまったく飽きずに物語に没頭できました。
それから、印象に残ったのはまだ25歳の中村壱太郎。びっくりするくらいうまくて、姿も声も立ち居振る舞いも、きゃしゃで美しい遊女の「お紺」にしか見えませんでした。この人が演じる別の役をまた見てみたいです。