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July 2012

July 22, 2012

山本雅基「山谷でホスピスやってます。」278冊目

10年ほど前に自力でゼロから山谷にホスピスを作って、その後ずっと運営してきている人が書いた本。
山田洋次監督、吉永小百合と笑福亭鶴瓶主演の「おとうと」という映画で、おとうとの終の棲家としたホスピスは、ここがモデルになってるそうです。

山谷といえば日本で一番有名なドヤ街。そこで死に至る病気に見舞われた人たちの最期をみとる場所・・・というのは、マザーテレサの「死にゆくひとたちの家」の日本版といえそうな気がします。ここしばらくの間に読んだ介護やターミナルケアの本のプロフェッショナルな印象をひきずっていたこともあって、この本はきっと、もっとも難しい利用者さんたちを天才的にうまくまとめている人たちの本だと思って読み始めました。が、実際は、志あふれる若者の、ある意味無謀な挑戦の本でした。

著者たち立ち上げメンバーは、夢の大きさほど神経が太くなくて、大いに傷ついたり倒れたり寝込んだりうつになったりします。前に読んだ本のほうが、利用者さんの気持ちをよく理解したケアをしているのかも、と思うこともあります。でも、等身大なので読んでいる自分を映して、やっぱりそうだよなぁと共感します。

終わりよければすべてよし、だよなぁ。
今度このホスピスの辺りまで出かけてみよう、と思います。以上。


July 21, 2012

総合ケアセンターサンビレッジ「「尊厳を支えるケア」をめざして」277冊目

2006年発行。

岐阜で30年以上老人介護施設を運営してきている会社による、さまざま事例とその考察をまとめたケースブック。寝たきりで体中に管をつながれた状態でひたすら延命するのが当たり前だった時代に、オーストラリアでの研修で、亡くなる直前まで残存機能を生かして作業をする、いきいきとした利用者の姿を見て、日本の介護を変えようと試行錯誤してきた・・・という過程が書かれています。

これって・・・ビジネススクールの副読本だよね?
というくらい、整然と分類されているし、多数の失敗事例とそこからの学び、今後の施設があるべき姿への提言もあって、経営を学習してる人には本当に役立ちそうな本です。

本の帯を厚労省の人が書いています。「本書はわが国の高齢者介護のトップ・ランナーの30年の実践の成果を示している。」というのは本文でこの施設自身が「介護保険のシステム作りの参考になった」等と書いていることと一致しています。日本では30年前に、ほかにはどんな施設があったんだろう?当時から外国の施設で研修した人たちはほかにもいたかもしれない。ケースとして研究してみたいものです。ていうか行ってインタビューしてみたい。

病院に関しては最近経営分析が進んできているようだけど、高齢者介護施設はどうなんだろう?
( 川越胃腸病院をとりあげた、金津佳子・宮永博史「全員が一流をめざす経営」なんて本もありましたね。)

2006年当時「岐阜駅前に、住居や介護施設、病院等が1か所にまとまった43階建ての施設がもうすぐできる」と書かれているので、調べてみたらもう建ってますね。http://www.sunvillage-gifu.com/ 自分が老後を過ごすならこんなところがいい!と思いますが、実際建ててみてどうだったんでしょう。・・・よし、次の旅行先は岐阜に決定だ!
・・・以上。

July 14, 2012

米沢慧「『幸せに死ぬ』ということ」276冊目

“その手の本”2冊目。1998年発行。
この本の著者は医療や介護の従事者ではなく、ジャーナリストです。そのため、社会現象としてホスピスの出現とかターミナルケアをとらえて、分析しようとしているようです。

医療における自己決定ということが、宗教上の理由で輸血を拒否した事件以降注目されるようになったり。1980年代まで日本では病院で医療の限りをつくして延命ひとすじにやってきた医療が、1990年の「病院で死ぬということ」(山崎章郎、1990年)や「患者よ、がんと闘うな」(近藤誠、1996年)で見直され、どう死ぬかということが注目されるようになったり。・・・そういうことを経て、日本でもホスピスや在宅での緩和ケアが一般的になってきたのだそうです。

すでに1冊読んだので、さらさらと読み進めて、1冊目に追加する新しい情報はそれほど多くはありませんが、緩和ケアに従事する医師との往復書簡や患者の手記等、生の文章が挿入されていたのは新鮮でした。

勢いであと2冊関連本を買っちゃったので、続けて読みます。


July 13, 2012

村上國男「ターミナルケア・ガイド」275冊目

発行は2003年。最近興味のあるターミナルケアに関する本を何冊か取り寄せたうちの1冊めです。
著者はホスピスでの仕事の長い、熟練の医師。苦痛緩和の技術にも長けていますが、精神的な不安感をのぞく心のケアにもずっと取り組んできています。

この本はもともと、初めてホスピスでの業務につく看護師などに向けて書かれたもので、意識のない人にチューブで栄養を与え続けるような延命治療や、ひどい苦痛を伴う化学療法などをやめて、苦痛を取り除いて心穏やかに最期を迎えさせるためのケアの考え方ややり方について解説しています。専門用語はあまり使われていないので、素人の私にも「ターミナルケアって何よ?」ということがよくわかる本でした。

いや、別に私が死ぬとか病気とかってわけではなくて。
どう死ぬかってことはどう生きるかということでもあるわけですから。
最近介護の講習受けたり、バリバラ見たりしてて、いままで見なかったことに、新しく興味が湧いてきたってことです。なんにしろ知らないことを知るのは面白いことです。
とはいえ、苦しい話とか辛い話とかも多くて、読んでてちょっとせつない本ではありました。
しかし、まだ読みますよ!・・・以上。

July 10, 2012

宮永博史「幸運と不運には法則がある」274冊目

宮永先生の最新書籍です。
あまりに次々に出るので何冊目かわからなくなりましたが、今回も新ネタたっぷり、手抜きなく読む人にやさしい良い本です。

細かいエピソードは本を読んでいただければわかるので省きます。一貫して、イノベーションを起こさなければならない研究者や開発者を励まし、いたわり、迷ってしまったときの指針を提示しています。

著者自身が、迷いつつ努力して努力してやってきたことが、本のどこを見ても伝わってきます。努力ということばにアレルギーを感じる人にはとっつきにくい本かもしれないけど、そんな人も本当はどっかで努力してるのかもよ。

とはいえ、ビジネス書を読むことは少なくなりました。これからちょっと別分野の本を読んでみようと思っています。
さてどうなるか。・・・以上。

July 07, 2012

ジョン・キム「媚びない人生」273冊目

Twitterでこの著者をフォローしていたら、この本の宣伝が次から次へと流れてきて、まぁ読んでみるかなという気になりました。

この本は、慶應での著者のゼミで、卒業していく学生たちに向けて行った講義の内容をもとに書かれたものだそうです。“空気”に流されたりしないで自分を確立していけ、といった、生きることに関する指針を、まだ自己がグラグラしている若い人たちに与える本です。

“ビジネス書”ではないし、自己啓発よりも根っこに近いところの話をしていて、よくどっかの社長が定年退職後に書く人生指南書のようです。なかなか先輩や上司は教えてくれない、世の中の本当のことを伝えようとしている本。

徹底的に悩みぬけ、まずは与えられた仕事を死ぬほど真剣にやれ、いまいる世界のルールはしょせん世界中で通用するものではないから、自分を信じられるようになれ、etc。生き方の本なので、一般的で漠然とした内容ではあるけど、学校とか家とか会社とかで、なにかの価値観に縛られてガチガチになってしまっている人にとっては突破口を見つけるきっかけになるかもしれません。

差別やいじめ、ひいき、ねたみ…とかの問題って、未熟さからくる部分が大きくて、子どもの世界の中ですでに経験していることが多いと思います。これから社会に出ていこうとする子たちには、外の世界が今よりもっと厳しく見えて委縮している子も多いはず。先輩や上司がそういう恐れを理解して、彼らに本当に必要なアドバイスをしてあげるのは、日々の仕事に追われていると難しい。だからそういう年代の子たちにとってはよい本だと思います。

しかしこれを読んで人生の重要な指針を得るオトナってのは、いるだろうけどなんか情けないですね…。ひとの人生を生きちゃだめです。人生は一度しかないので、悔いのないようにみんな自分らしさを見つけていきましょう。以上。

July 03, 2012

村上春樹「1Q84」本の272冊目

Book1(2009年発売)からBook3(2010年発売)の3分冊。1冊500~600ページ×3の大作です。Book1の発売からもう3年もたつんですね。図書館で借りようと思ってちょくちょく予約状況を見てたのですが、先週初めて書架に置かれているのを見てすぐに借りました。この人の長編小説は全部読んでますが、この読書ブログで感想を書くのは初めてです。

感想、書くの難しいですね。完成度が高すぎて、嬉しいとか哀しいとか好き嫌いとかという感情が起こらないし、批判的なことを言う気にもなりません。なにも破たんせずに収束。あ、でも個人的には、青豆が怒ると恐ろしい形相になることとか、女友達といちいち裸のつきあい(温泉に入るとかではない)を経てから心を許すところとかは、なくてもいいです。青豆が強すぎるとか、天吾が煮え切らないとか、もうそういうのには慣れました。

読み終わった気分は、ほの明るいハッピーエンド風の結末にもかかわらずうすら暗くて、面白いTVゲームをやり終えたときや悪い予感のするニュースを見たときの気持ちに似ています。村上春樹の作品には、読者を廃人にする黒い力があって、読み終わってもその世界(猫の町、あるいは1Q84、みたいなあっち側の世界)から魂が戻ってきていないという状況が発生します。夜空の月を見上げてやっと、「…そっか月が二つなんてありえないよな、天体だし」と思い至るくらい、意外と深く汚染されます。

リトルピープルがまたあっちの世界で出てきたのに放ったらかしで帰ってきちゃったというキモチワルさ(落ち着かない、くらいの意味です)、いくら極悪人でも殺しちゃだめだよという常識、なんでこの人の作品の登場人物は愛と性を完全に区別できるんだろうというモラル。…実はそんなものは大した違和感ではなくて、フィクションなのでその程度のことは自分のなかで消化できます。

それより、わたくしごとですが、私は「大権力」という顔のないものを想定して、それに立ち向かう小さな個人という立場でものをいうことが好きじゃありません。巨大組織のほとんどが多分小心者の小市民を集めたもので、そこには空気と呼ばれる何かに流されやすい人たちと、無責任に人を振り回すのがうまい人たちがいるだけではないかと常々思っています。自分たちとまったく違う人たちではなく、せいぜいピカチュー(自分たち)とライチュー(奴ら)くらいしか違わない人たちが、集団になると戦争とかしちゃうから人間は恐い。

村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチは、「自分は大権力という壁にぶち当たって割れる卵の味方だ」というような内容だったので、私がいかにも嫌いそうなことを言っていると思っていたのですが、この本で青豆とマダムは、ある団体に真っ向からでなく裏口から入って、特定の個人をピンポイントで静かに征伐します。人違いだったら大変だ。しかし当たっていたらすごく強力で、私ごときの批判に値しない有効な攻撃方法なのかもしれません。・・・集団悪、というものを発生させない方法や壊滅させる方法になら、私も興味があります。そんなことをつらつらと考えたりしながら、もうしばらくは1Q84に片足を突っ込んだように暮らしていくのでしょう、私は。

では今日はこの辺で。