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June 2012

June 23, 2012

新藤兼人「ひとり歩きの朝」本の271冊目

人間たちの生きざまを立体的に構築するのに長けた名監督の、ひとり語り。3ページずつのごく短いエッセイ集での新藤監督の“身の置きどころ”が映画のようにはつかめなくて、ちょっともどかしい本でした。映画「三文役者」にちょこちょこ監督自身が出演しているところがあるのですが、あくまでも遠目のロングショットで短く現れるだけ。人のことを語るのが仕事なので、自分のことをさらけ出すのはあまりお好きではなかったのかもしれません。

感想としては、なんだか寂しい本でした。
「三文役者の死」の温かさ、軽妙さと対照的です。この違いは、乙羽さんがそばにいるかどうか、なんでしょうかね。

長生き=幸せというより、デフォルトで孤独、悪い意味で。…という印象さえ受けます。何十年も信頼しあっていた友人がひとりひとり去っていく。うつ病ではないかと感じさせるほどの寂寥感が、本の中から悪霊のように立ちのぼってきます。。

確認したところ、「三文…」が書かれた1991年から、この本の元になった新聞の連載が始まった2000年の間、1994年に乙羽さんは果たして亡くなっていました。男って妻がいないと途端に弱くなるのね、と見るか、それとも、男って妻にそこまで頼りきって女のおかげでそこまで強さを保てるなんてうらやましい、と見るか。(書いてる私は後者だ、という意図が丸見えですね)

ひとりってのは寂しいものなんだろうか。
人はみんな(双子や三つ子でなければ)ひとりで生まれてひとりで死ぬ(大災害とかでなければ)。ひとりが寂しいのは、ひとりだからではなくて、心の中に大きな隙間があるからじゃないかな。
最後に近い「友情」という章の冒頭で“ながく生きることは、友を失うことでもある。つぎつぎと友が消えてゆく。その寂寥はどうしようもない。”といいます。40数年しか生きていなくても、小さいころにテレビに出ていた人たちが次々に死んでいきます。新藤監督も逝ってしまいました。だいぶ前に母は逝ったし姉の女の子はわずか5歳で天に召されました。亡くした人の数が問題なのではないと思うけど、ある程度の量に達すると質も変貌するのかもしれません(なんか科学書にでも書いてありそうなことを私ったら)。

さて、この本を読んで調べてみたくなったことがいくつかあったので、メモしておきます。
「読書の楽しみ」から。“チェーホフの「かもめ」を読めば、テネシィ・ウィリアムズの「欲望という名の電車」を読んでみたくなる。その対比はわくわくするほど興奮する”…両方読んでないので、読もう。

「小倉の巨人」で松本清張の「下山国鉄総裁忙殺論」「推理・松川事件」にふれている。ドキュメンタリーなのかな。これも読んでみたい。

「猫劇場」でロシアの猫サーカス“クララチョフ猫劇場”に触れている。
動画を見てみると、確かに芸をしていて面白い。

「妻を撮る」広島の監督、川本昭人が原爆症の妻を撮り続けた「妻の貌」…見てみたいけどTSUTAYAではレンタルしてないのね。

「アッセンデルフト考」でふれている“アッセンデルフト”とはトールペインティングの一種らしい。空想の絢爛たる花園のようで不思議な魅力があります。

「神か人か」福島瑞穂(政治家とは同姓同名の別人)の絵。ググってみたら、もう暗黒絵画ですね。幽霊とか悪魔とかのイラストを描こうとしてもぜんぜん怖くない私としては、うらやましいくらいです。どうやったらこんなに怖い絵が描けるんでしょう。

…つかみどころがない割に、得た情報が残る本でした。ということで、以上。

June 16, 2012

新藤兼人「三文役者の死 ― 正伝殿山泰司」本の270冊目

1991年発行。

追悼・新藤兼人、ということでこの大監督の著書を何冊か買ってみました。
古本が1円とか100円とかで買えるところが哀しい。死亡記事を見た人に映画は見返してもらえても、著書まで思いだしてもらえないのが、映画監督って商売なのかも。

さてこの本です。
読んだ人がかならずタイちゃんを愛してしまうような、愛と友情あふれる仲間の書、です。でまた、本当に作家として素晴らしい筆力ですね、新藤監督。
それから、インタビューや普段の会話から、それぞれの人となりを映したコトバを拾い上げる力がすごいです。文章にも抜かりがありませんが、映画という立体物をずっと手掛けてきた巨匠ですから、構成のドラマチックさが、文章だけ書いているたいがいの人と比較にならないくらい卓越しています。

まずタイトルが秀逸。かっこわるいことを突き詰めるとかっこいいのです。そして第1章からの章タイトルが「三文役者の死」、それから「三文役者お別れの会」、「三文役者を偲ぶ会」とここまでで彼の死のセレモニーが終わり、次章からタイちゃんの一生を生まれたときから死ぬちょっと前まで順にたどっていきます。

タイちゃんを語るうえで欠かせないのが二人の妻。15年連れ添った「鎌倉の人」、その後30年連れ添った「赤坂の人」の二人です。きっちり離婚できないのが優柔不断でやさしいタイちゃん。傷つけることができずに酒びたりになる小さい男、「どうもどうものタイちゃん」です。

面白いところ、じわっとくるところ、いろいろありますが、とにかく名文なので一読されることをお勧めします。

人が死んだら必ず誰かが伝記を書いてあげるようにしたらどうだろう。誰かに丁寧に自分の生きてきた道をたどってもらって、思いだしてもらえる、ということで、浮かばれるんじゃないかな。いや、死ぬ前に自分でタイトルを決めて、誰かに伝記を書いてもらえたら、かなり満足して死ねるような気がします。

最近の、というかこれからの私のテーマは「幸せに死ぬこと/死なせてあげること」な

んだけど、「伝記書きます」という商売があったらいいよね…。あ、私やりますよ。もし書いてほしい人がいたら、コメント欄でご発注ください(笑)

新藤監督の評伝は何冊かあるようですが、ではその評伝の著者の評伝は誰が書くんだろう。そうやって、命をつなぐような温かい輪がゆるりとつながっていったらいいな…などと思います。以上。