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November 2011

November 29, 2011

新藤兼人監督「狼」311

1955年作品。

戦後さまざまな理由で失職して、まったく仕事が見つからない中年男女が生命保険の勧誘の仕事を始める。ノルマは6ヶ月の間に500万円分の契約を取ってくること。6ヶ月目に差しかかり、いよいよ食い詰めた5人は思い余って強盗を計画する・・・

新藤兼人作品を見たのは久しぶりです。派手な作品を立て続けに見た後だと、この地味な作品の重みがずっしりと胸にきますね。この人たちはこんなにまじめで立派なのにどうしてこう貧しいんだろう。どうして何もかも裏目に出てしまってうまくいかないんだろう。と感情移入をしてずるずるとはまり込んでいきます。このどうしようもない人たちに対する監督の目の優しいこと。

「うまくいかない奴はがんばりが足りないんだ」と平気で言う人は世の中にたくさんいます。励ましのつもりで「がんばればできるよ!」と言う人もいます。でもそうじゃないんだよね。逆上がりができなかったり、食べるのが一番遅かったり、何も言えなくてずっと黙っていたりした、小さい頃の自分を思い出してやりきれない気持ちになります。

「金は天下の回りもの」なのかな。この人たちが食い詰めている間に誰かがクジャクの団扇であおいでもらいながら昼寝してたんだろうか。・・・そんなに世の中単純じゃないか。

新藤監督の映画の中の人たちは、苦労して耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、一瞬ぶち切れそうになるけどまた耐えて、耐えて、耐えることに慣れていきます。この映画の人たちは、はじけてかなり思い切ったことをしている、ように見えます。が、強盗したお金をそれぞれの貧しい家に持ち帰って、「牛肉買ってきたから久しぶりにすき焼きだ」「スイカ食べようか」なんて言うのが、切なくていけねぇ。もう、ビヨークの出てた「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の世界です。後日談の部分が、長い、長い。むしろ決行後のことを描いていることがすごく興味深いです。そして、新藤作品の中でも群を抜いて、この映画は後味が悪い。一時的に大金を手にしたところで、すぐになくなる。貧しさにさらに後ろめたさが重なる。やっぱり犯罪はいけないのです。決してそれで幸せにはなれません。ああ、やっぱり新藤監督は道徳の人でした。でもとても面白い映画でした。常に実験的で、徹底的に真摯で、この人はアリのように生きることしかできない日本の私たちのことを本当によく知っている監督なんです。こういう映画を撮り続ける新藤監督の根性は、他のどの監督にも真似のできないものだと、あらためて思い知りました。以上。

November 26, 2011

松林宗恵監督「社長太平記」310

1959年作品。
森繁久彌の社長を小林桂樹や加東大介が取り巻き、三木のり平が笑いを、淡路恵子が”お色気”をそれぞれプラスするという基本設定の”社長”シリーズが56〜70年の間に33本も製作されたそうです。いわゆる日本の高度成長期のサラリーマンの姿がよくわかって、実に興味深い映画でした。といっても会社っていう世界はそれほど極端に変わったわけではなくて、今見てもふつうにオモシロいコメディ映画です。

この映画の場合、軍隊の上長だった人が今は部下になっている、という設定があるのですが、それにしても社長と部下たちやバーの女たちとの距離感が近いですね。バーのマダムが社長を「沼田ちゃ〜ん」って呼ぶ、みたいな。今はむしろ、クラシカルなつもりで平社員を社長扱いするようなところなのではないかと思います。電話交換のお嬢ちゃんが社長に「豆ダヌキ」と呼ばれてタメ口きいたりとか。

それにしても笑ったのは、この下着会社の社員の三木のり平が今でいうヌーブラそっくりな下着を裸になって身につけて踊ってみせるところや、バー「くまん蜂」3周年記念とやらで各社社長が舞台でフレンチカンカンを踊らされるところ・・・。

時代背景をビジネススクール的に分析すると、この映画が公開された1959年に、本田宗一郎は53歳で本田技研工業設立13年目。株式上場もとっくに済ませて、ベストセラーのスーパーカブを前年に発売し、この年はホンダアメリカを設立した年にあたります。ソニー(東京通信工業)も設立13年目で、55年に売り出したトランジスタラジオが売れて売れてしょうがない頃です。井深大は51歳だけど盛田昭夫はまだ38歳。がんばって働けばお金がもうかる、日本が良くなる、という思いに何の疑いもなかった時代、かな?と思います。

それにしても驚いたのは、当時実在したらしい「海軍バー」。今で言うコスプレ系の飲食店の一種で、店員がみんなセーラー服だし外国人の踊り子さんがぴちぴちのセーラー服を脱ぎながら踊ったりしていて、日本のサラリーマンってのはまったく昔っから・・・とか思います。しかし海軍って今は第二次大戦の張本人のように語られることが多いけど、戦争の傷跡も癒えないだろうに、この頃のOBにとっては懐かしむ対象だったのですね。エリートが多かったのでしょうから、そこに所属していたことが誇らしかったのかもしれません。

森繁の演じる社長が思い切りダメ社長なのですが、周りがしっかりしているので大丈夫!という構造になっています。老舗旅館の若旦那、みたいな世界ですね。自分のお父さんやおじいさんも、若い頃はみんなこんなハチャメチャな社会人だったんだと思うと愉快です。ぜひそんな風に楽しんで見てみてください!

November 23, 2011

プレット・モーゲン、ナネット・バースタイン監督「くたばれハリウッド」309

2002年作品。これは、この間見たばかりの「ローズマリーの赤ちゃん」、「チャイナタウン」のほかにも「ゴッドファーザー」「コットンクラブ」等々、パラマウントで多数の名作、ヒット作を”監督”でなく”プロデュース”したロバート・エヴァンスの自伝を映画化したものです。

大根役者としてスタート、実業家として成功、呼び戻されて数本の映画に出演、役者の才能がないことを痛感してプロデューサーを目指す、映画は脚本だと考えて「ローズマリーの赤ちゃん」の原作を手に入れる、ポーランド人監督ポランスキーを登用・・・
数本の大成功作品、監督や役者選びの才能、「ある愛の詩」女優との恋と成功、ゴッドファーザーとコッポラの登用、パラマウント社の再建・・・
妻を放り出して仕事に熱中して離婚、派手な生活の裏の孤独、コカイン、解雇、殺人事件の犯人という誤報道・・・
人心を読めるやり手でプレイボーイ、世界のすべてを手に入れた後で失い、また手に入れた男の一生です。

感動しました。大笑いして、言葉を失い、特典映像のスピリット・オブ・ライフ賞授賞式の映像では泣けてしまいました。日本の映画監督は、企画や脚本も自分でやる人が結構いるのではないかと思いますが、ハリウッドはやっぱり分業が進んでいるのかな。大きな映画会社では、最初にアイデアがあってプロデューサーがいて、監督は脚本家、出演者等と合わせてセッティングされていくものなのかな。
そして現実の人の一生は、一本の映画と比べ物にならないくらい、長くてキツい。

ありがちなことですが、原題「The Kid Stays In The Picture(この小僧は出演させるぞ)」という、ロバートがプロデューサーを目指したきっかけの一言が「くたばれハリウッド」という本質から遠く離れた日本語になっているのは残念です。

プロデューサーって何?という私の疑問の答に大きく近づかせてくれた1本。彼のプロデュース作品をいくつかじっくり味わった後で見るべき作品です。いい映画をこのところたくさん見てますが、中でも特に鮮烈な印象を残してくれました。

くだらないと言われそうですが、プロデューサーとしてのロバート・エヴァンズとスティーブ・ジョブズの共通点は、いいものと悪いものの区別に関して迷いがないこと。・・・という気がします。いいものを完成させるための努力をするのは当然だし、区別がつかない人にいちいち説明もしないから嫌われる人には嫌われる。身内も傷つける。人としての幸せより、最高の何かを目指すことを重視する。で、これが泥臭いオヤジなら同情もされるのに、スマートだから憎まれる。・・・私から見れば、見た目がスマートだろうがオヤジだろうが、真摯に打ち込むことは尊いし、カッコイイ人の苦労もちゃんと認めてあげてほしいと思います。
以上。

November 20, 2011

黒澤明監督「酔いどれ天使」308

1948年作品。

勢いのある若いヤクザが結核でもう長くないことを知る。女に逃げられ、最後まで守ってくれると思っていた兄貴分に裏切られたとき、彼は自分を救おうとしてくれた町医者のために・・・。

「素晴らしき日曜日」が1947年、「野良犬」が1949年なので、ちょうどその間に作られた作品です。三船敏郎が素敵に汚れてます。志村喬はまだなんとなく若々しさを感じさせます。
岡田との戦いの最後に、廊下から物干し場に出る戸を開け放ったときの絵が美しいです。すごくワザトらしいんだけど、感動的だからいいの。って感じ。それから、三船なき後の後日談的な部分が長いですね。ヤクザなんかいかん、(更正できないんだからヤクザになってはいかん)という修身的なお説教が、この頃作る映画には求められていたのかもしれません。なんにしろ、劇画調ですね、黒澤映画って。適度+αのちょっと過剰なエンターテイメント性があるので、流してだらだら見ていてもハッとしてつい見させる効果があります。

このときの三船が良かったので、彼はその後の黒澤映画をしょって立つことになったらしい。この映画の中に挿入される笠置シヅ子「ジャングル・ブギ」も印象的ですね。歌もうまいけどショーマンシップが素晴らしい。アメリカ人向けの舞台で大人気を博したサンバ歌手カルメン・ミランダをホウフツとさせます。彼女が出た映画があったな、と思って調べてみたら「Gang's All Here」って映画が1943年に公開されてます。笠置シヅ子とほぼ同時代の人だけど、アメリカでの活躍が同時に日本に入ってくるという時代でもないはずなので、どれくらい日本の歌手が影響を受けたかはこれだけではわからないですね・・・。

今日の名言:「仁義なんてのは、悪党同士の安全保障条約みたいなもんだ」by町医者

November 19, 2011

ロマン・ポランスキー監督「ローズマリーの赤ちゃん」307

1968年作品。
この映画は、最初に就職した会社を辞めて家でウツウツとしてた時期に、WOWOWをつけるといつもやってて、ノイローゼになりそうなくらい見たという漠然とした記憶があって、世にも奇妙で恐ろしい映画だときつく刷り込まれてしまっている、そんな存在でした。しかし、ロードショーで最新作「ゴーストライター」を見て、やっぱりこの”呪われた”名作を見直してみようと決意しました。

感想:いやー、本当によくできた映画です。面白かった!
ミア・ファローが、素晴らしく犠牲者というか”生けにえ”になりきっています。

「お隣の夫婦」が、もっと見るからに奇妙な人かと思ってたらやけに明るくてパワフルなのがすごく意外でした。ミア・ファローも、思っていたよりずっと可憐でかわいらしい。後の映画のイメージで、もう少し成熟した大人の役だった気がしてたけど、こんなに初々しいなら、この役にはぴったり…ということは世界的に認められていて、私がいま気づいただけですが。

キリスト教圏の人が、悪魔にとらわれた人たちを題材として映画を撮るのには勇気が要るんじゃないだろうか?ポランスキー監督はホロコーストを身近に知っているから人間って疑わしいという感覚が身についていて、こんな映画が撮れたのかしら…とか思いながら、DVDのおまけのインタビューを見たら、ポランスキー監督はプロデューサーのロバート・エヴァンズに「大好きなスキーの映画を撮らせるから来い」と騙されてこの映画を撮らされた…らしいです。

インタビューで、「主人公はもっと典型的な健康なアメリカ人男女をイメージしていたが、プロデューサーの意向で違うタイプの二人を選んだ」という話が出ています。チャイナタウンのジャック・ニコルソン&フェイ・ダナウェイもゴーストライターのユアン・マグレガーも、健康的なイメージ強いし、ポランスキー監督は決してゴシック趣味とか悪趣味とかホラー好きではなくて、一流のサスペンス映画を撮る監督なんだなと、改めて思いました。。
(そもそも、ポランスキー自身、見るからに普通に健康的な感じの人だもんね・・・。)

私が映画をたくさん見ている最終的な目的は、ディレクターじゃなくてプロデューサーについて学ぶこと・・・と考えると、このプロデューサーを追っかけることも必要な気がします。この映画のプロデューサーはクレジットではウィリアム・キャッスルとなっていますが、インタビューに答えているロバート・エヴァンズが真の黒幕っぽい。この人、チャイナタウンとかゴッドファーザーとか、有名な作品をたくさんプロデュースしてますね。彼に関する本とDVDが出てるようなので、さっそく見てみなければ。

今日の一言:後味悪い映画を撮らせたら天下一、のはずだったのに、最後のミア・ファローの聖母の微笑みでなぜか癒されてしまった!まったく予想と正反対で戸惑っているきょうの私です。 
以上。

November 17, 2011

池井戸潤「下町ロケット」306

佃は大田区の町工場の社長だが、大きな失敗に巻き込まれたため以前働いていた宇宙開発機構を辞めて親の会社を継いでいた。最大手クライアントから契約を切られたところに、大企業から特許訴訟を起こされて青息吐息。実力派の弁護士によって苦境を切り抜け、経営を立てなおしつつ、今度はロケットエンジンの主要部品に関して特許ライセンスか部品供給かという岐路に立たされる…。

感想:おもしろかった。1日で読んでしまいました。
まさにMOT=Management of Technologyの世界、というか、授業でよくやったようなビジネスケースを小説化したものという感じです。キーワードは中小企業、町工場、大企業に負けない技術、買収、特許戦略、訴訟、夢、手作業、現場…etc。
ただ、一時期そういう世界にあまりにもズブズブに浸っていた(ケースを何十個も読んだり、工場見学に通ったり)ので、題材に新鮮味は感じませんでした。個人的には。
実際、この小説のような会社って本当にたくさんあるんですよね。工場見学に行ってお話を聞いてゾクゾクしたことが何度もありました。一方、この小説に出てくる大企業側の特許担当者たちの考え方もわかるところがあります。持てる者のほうが失うことを恐れるのが、人間の性なのでしょう。

技術屋あがりで弁理士・弁護士と資格をとっていった「神谷弁護士」のモデルは、実在するようですね。以前自分で仕事をした中にも、技術がわかって正義感が強く、丁寧な仕事をする弁護士や弁理士がいたなぁと思いだしました。きっとますますご活躍されていることでしょう・・・。

直木賞受賞作品だけあって、ドラマ化されたら盛り上がりポイントがたくさんあって面白くなりそうです。離婚した妻が最後にもう少しからんでくるかな?と思ったらそうでもなかったので、テレビではこれを膨らませたりするのかな~。
以上。

November 13, 2011

P.F.ドラッカー「マネジメント」上・中・下305

なんでも書くブログですみません…
いちおうビジネススクールの類に行った人間として、TVアニメ版の「もしドラ」しか見てないのは都合が悪い、ということで読んでみました、この大著。全部で1000ページ近くあります。

一言で感想を書くべき本でもないと思いますが…思うに、何らかの形で経営とか業務上の管理とかに携わっていて、一度ちゃんと勉強してみたいと思った人なら、がんばって読んでみるといいと思います。

ドラッカーは完全にアカデミックな世界の人で実務経験がありません。(ごく短期間、新聞記者をやってたらしいですが)そういう立場でなければ言えないこともあるんだな、と、読んでみて思いました。一度成功したけれど、今後じり貧になっていくことが目に見えている事業をすっぱりやめろ、とか…当たり前のことでも、経営経験者だと自分のことのように思えてなかなか言えないものです。そういう責任を負わない第三者の言葉が必要になった経営者が、背中を押してもらうための本。

大著だったけど、その分もれなく重複なく分析結果が書かれています。私がレポートで苦労したグローバル企業の経営のことも、この本くらいは読んでから書き始めればよかったなぁと思ったりします。今後も仕事で悩んだらひもといてみよう。そういう、一本筋の通った実直な本でした。以上。

ほか

November 12, 2011

松本人志「しんぼる」304

2009年作品。
へぇ~。こんな映画なんだ。
面白かったですよ。ドリフ、ひょうきん族、ガキの使い、などなどを見て大笑いしていた子どもの頃の気持ちになって見ると、楽しめるのではないかと思います。

Amazonで感想を見ると、失敗作とか難解とか書かれてるけど、松本人志が自分の頭の中にあるものをきちんと形にできたか?という意味では、成功してると思います。よく作りこんであるし、珍しいし、ユニーク。

この人がこれほどの有名人でお金を使える人でなかったら、多分「すごく独特な才能のある自主制作映画」が出来てたんじゃないかな。むしろ美大生かなんかがそういう映画を撮っていれば、もっと玄人受けしたんではないか、とも思います。これほど有名になってしまうと、たくさんの人が期待して見るから、叩く人もいるし、とりあえず褒めちぎる人もいるでしょう。ただ、あの松本人志が作ったのでなければ、細部の小ネタがこれほどおかしくなかっただろうし、なんだかんだあっても最後に明るい気持ちで終われる、という感じにはならないでしょう。壮大なる、完成度の高い、素人映画(ほめてるんです)というか、子どもの心の中を覗いてしまったような映画です。

あ、これ、マンガにしてモーニングに投稿したら、きっといきなり大賞とって掲載されたんじゃないかと思います。

というわけで、次いきま~す。

November 03, 2011

川端康成「雪国」300

なんと栄光の300回目。
愛読書、佐藤正午の「小説の読み書き」をぱらぱら見てたら、彼が面白いことを書いていたので読んでみることにしました。図書館にあるだろと思って行ってみたらなかったので、文庫本を購入。

「国境の長いトンネルを超えると雪国であった。夜の底が白くなった。」というミニマルでビジュアルな出だしで有名な、あの小説です。
”無為徒食”、働かなくても食べていける妻子持ちの男「島村」はなぜか毎年家族を家に置いたまま温泉宿に滞在している。若い芸者「駒子」は冬ごとに彼の投宿を待っている。投宿中は毎朝毎晩のように、仕事の合間を見て彼の部屋にやってくる。ある冬に島村が温泉町へ行く汽車で乗り合わせた「葉子」は澄んだ声をした一途な娘で、彼はどこか彼女のことが気になっている。駒子と島村の恋は成就するはずもなく、いつか終わる日をうっすらと感じながら二人のあいだに時間は流れていく。…

まるで風景描写みたいにミニマルにビジュアルに、距離感をもって女性が描写してあるのです。それから、「感じたこと」として書かれていることがいちいち共感できるのと比べて、事実描写は詳細をはしょりすぎていてよくわからなかったり、不自然だったり、そういうバランスがちょっと変な感じ。40過ぎてから読んでるからか、難解だとは全然思わなかったけど、わかりにくい部分があるのは確かです。

小太りの中年男「島村」の指を芸者「駒子」が握っているのが美しくない、やせた男の細い指でなければ…と佐藤正午が言うが、それって自分も共感できるだろうか?というのが私の出発点だったのですが、答は「細くないのもリアルっぽいかも」。何度も映画化されるたびに、理想的なスリムな二枚目がこの役を演じていますが、本来は「目立たない男」でよかったんだと思います。

ちなみに前に歌舞伎を見に行ったときに、中村獅童演じる子狐がひょろひょろしててあんまり可愛くなかったのを覚えています。背が高く手足が長い人にはあんまり着物が似合いません。胴の太いまるっとした体型の中年男性のほうが、着物姿が色っぽいのです。というわけで、私が島村のキャスティングをするとしたら…18代目中村勘三郎かしら…。
もうちょっと若くて、もっと枯れててほしいけど。香川照之かなぁ。二宮和也も演じられそうな気がします。

佐藤正午は、島村が「ぶらぶらしているくせに酒も飲まない。小太りである。おまけに彼には妻と、子どもがいる。円満のようだ。(中略)島村という男の人物像がぶれて焦点がうまく結べなくなる。これらの設定のうちどれかが、ひとりの人物にぴったり収まらずはみ出しているような気がする。」と書いています。それは多分川端康成自身が、島村の性格なんてどうでもよかったから?新潮文庫の解説で伊藤整は、「島村は作者の解説では…(中略)…という簡単なことしか分っていない。しかし、殆どそれは、どうでもよいことで、…(後略)」
と突き放しています。島村は駒子を輝かせるためだけの端役で、印象が薄くぼんやりしている方がいいと意図したのでしょうか。
もっというと著者自身、自分のことも同様にうすく感じていたのかもしれません。年表を見ると15歳までに近い親戚全員を亡くしたそうで、”どうせ死ぬんだし”という感覚が身に着いていたかもしれません。自分と違う、輝いている若いものに出会うと、まぶしい一方で、”どうせ死んじゃうのに”というむなしさを感じる…というのが、枕草子以来の”もののあはれ”っていう感覚なのでしょう。

さて気性が激しく情が厚く、芸達者な駒子を演じるのは誰がいいだろう?
どちらかというと山の女性らしいたくましさもある。前田敦子とか長澤まさみとか。(芸達者?)
思いつめる性質の葉子のほうが先に決まりそうです。目の鋭さだけで黒木メイサというのはちょっと安易で、多部未華子かな?

映画化されたものも、見てみようかな。自分が思い描いたのとどう違うか、感想を書きますね。
以上。