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July 2011

July 31, 2011

松岡錠司監督「きらきらひかる」264

1992年の作品。薬師丸ひろ子が演じる、アルコール依存症ぎみの女性、笑子。彼女は家でイタリア語の翻訳をしています。豊川悦司演じる、同性愛者の医師、睦月。筒井道隆演じる大学生、紺。笑子と睦月が事情をわかった上でお見合い結婚をするんだけど、睦月と紺はそのまま交際してる。「そんな3人の不思議な関係が、笑子の両親にばれたところから亀裂が生じ・・・」というストーリー。

もう20年近く前の作品なんですね。トヨエツが若いです。
最近よく見てる大昔の映画と比べると、進行がゆるゆるに遅いので、短気を起こしてほぼ全編1.5倍速で見てしまいました。監督さんごめんなさい。この密度の違いは、昔はフィルムが高かったり、映画が誰でも撮れるものじゃなかったという希少感とかによるものでしょうか。

薬師丸ひろ子は、生真面目でバランスを壊してアルコールに頼る女性としてリアルだし、トヨエツはとてもきれいに表面的な笑みを浮かべるし、筒井道隆はいそうな中大生だけど、結局何が言いたいのかわからない映画ではあります。これは原作によるものではないかと思われます。

一番良かったのは、いつも口を「への字」にしたファミレスの店員役の土屋久美子でした。以上。
(Amazonのレビューは間違って映画でなく連続ドラマの感想が表示されてるので、ご注意のほど)

July 30, 2011

成瀬巳喜男監督「浮雲」263

1955年の作品。林芙美子の小説がベースで、高峰秀子と森雅之が主役。
珍しくこれは原作を先に読んでます

高峰秀子可愛いすぎる!!要は植民地に赴任していたときの不倫相手に内地に戻ってきたら捨てられて、追いかけて逃げられてまた恋をして…っていうお話なのですが、これほど可憐だと女が可哀想に見えて、男が悪く見えて仕方ありません。

というか…見た目が可憐で中身がキツイ人はたくさんいますが、彼女の場合、これほど可憐すぎるとどこで何をしていても、こんな風に捨てられるはずがない。元の設定は「男好きのするちょっとズルい女」だと思ったんだけどなぁ。

たとえば「浮草」の京マチ子も「復讐するは我にあり」の小川真由美も、非常に美しいけど、男に執着していく女のユルさをちゃんと感じさせる、と思う。高峰秀子の可憐さは凛としていて隙がない。流されたりすることのある人に見えない。

森雅之は中年なんだけど精悍なところがあって、手癖の悪さと生命力(繁殖力?)の強さをにおわせる男です。一見堅そうで皮肉屋で、だけど困ったときはすごく優しい…という、間違いなく女性にモテるタイプです。気が付いたらやられている、という。こういう人に気に入られたら逃げるのは至難の業。(…って男の何をわかっているつもりだ、私)

原作はほんとうに名作だし、映画はすばらしい出来だと思うのですが、ヒロインのイメージが違う。…と、めったにない”先に原作読んでしまった症候群”の罠にはまってしまった今回の私でした。「浮雲」原作本や解説をぱらぱら見直してみたけど、わかったことは、成瀬巳喜男が監督した林芙美子作品はすべて、作家の死後に作られたものだということ。原作者自身に映画化の感想をちょっと聞いてみたかったです。

ちょっと書き足すと・・・
思うに、このところうっすら感じていて、特にこの映画で顕著に思ったのは、女性を美しく描きすぎているんじゃないかってことかな。それは、映画監督は100%近く男だから。女性美化と、弱い者への思いやりや、いたわりを意図する男女差別とは、同じものだと思います。原作が女性だと、それでも女のイヤなところが見え隠れするんだけど、この映画は原作を男性が映画化したときに化学変化が起こって、女性のイヤなところが蒸発してしまいました。・・・ちなみに私は別にフェミニストじゃないので、感じていた違和感の謎が解けただけで満足。男性の原作を女性監督が映画化して、女性ばかりが悪者になるような映画、ないかなぁ!もしあれば見てみたいです。ぜひ。
以上。

July 28, 2011

笹路正徳「音楽プロデューサー全仕事」262

音楽プロデューサーって何を考えながらどういう仕事をしてるんだろう?と思ってAmazonで検索して、見つかった本を古本屋で買ってみました。

プリンセス・プリンセス、ユニコーン、スピッツ、ザブリリアントグリーン等の出世作を次々にプロデュースした敏腕プロデューサーが、かなりきちんと自分の仕事を説明していて、学生用の就職説明会のような本です。仕事の大枠から詳細まで説明し、自分の思いや「自分がこうありたいというプロデューサー像」についても語っています。

そういう意味でなるほどと読めたし、仕事のこともよくわかりました。自慢に終始するような本でもないです。プリプリ、ユニコーンはともかく、ブリグリって演奏力はかなり微妙なバンドだと私は思っていて、「There will be love there 愛のある場所」を聞いたとき「すごいいい曲だし、イギリスのバンドみたいにセンスがいい!(そしてなんとなく、スタジオ力がすごくて、もしかしたら演奏力はそうでもないかも)」と強い印象を持ったのですが、どうもその通りだったらしいと私は読みとりました。

「自分を出して思い通りの音づくりをしたり、商業的成功ばかりを意識するより、そのアーティストらしさを生かしたい」という姿勢にも共感します。1999年に出版された本なので、その後もいろんなアーティストといい仕事をしたんだろうな、と思います。
しかし私のもっかの関心は少女時代のガールズポップとしての完成度の高さと、その背後にいるプロデューサーの凄さで、その理解のためにこの本も読んでみたわけなので、継続してゆるくアンテナを張っておこうと思います。以上。

July 24, 2011

樋口泰行「マイクロソフトで学んだこと、マイクロソフトだからできること」261

「愚直論」「変人力」に続く3冊目。ファンか私は。

「愚直論」を出したときは日本HP社長までのキャリアについて書き、「変人力」ではダイエー再建について書いた樋口氏ですが、3冊目にしてやっとマイクロソフトについて語りました。

マイクロソフトって会社は、むずかしい会社です。良い面をいうと、あの会社がなければ、世界中のいろんな国の人と普通にWordの文書をやりとりできるような環境はなかった、あるいは、もっと時間がかかった、と思います。1つの会社がやるには大きすぎることをやりとげたすごい会社ではあるけど、どうしてここまで嫌われてるんだろう(少なくとも日本で)?と考えると、製品開発の段階でユーザー視点がなさすぎる(Vista以前はひどかったけど、今も物足りない)ことや、インチキっぽいカタカナのメッセージが多すぎたことがすぐに浮かんできます。

US企業なので、企業メッセージの原語は当然英語。それをただの翻訳でなく普通の日本語におとしこんでから社員に伝えることを心がけた、と樋口氏は書いています。…正しい。当然ともいえます。外資系企業の日本の人たちは、英語も日本語もぺらぺらしゃべってるけど語学力が実は低い人もいるなぁ、と前から思ってました。これは正しい日本語力と英語力の問題です。てきとうに訳すからそれなりにしか自分も理解できないし、ほかの人にはもっと伝わらない。正しい日本語にしてから使う、というのは、とても難しいけど、やらないといけない基本的なことだったんだなぁと改めて思います。

契約書とかもそうなんですよね。USで作った契約書は、一見感じが悪い条項もあるけど、よくよくUSの弁護士と話してみると結構違う意図だったりします。法律の専門家の中には外国で弁護士登録をしていても契約書を100%理解するだけの英語力がない人もいます。1500ワードくらいのレベルで外国語を手軽な道具として使い始めることは国際的なビジネスマンには必須だけど、100%ちかく理解して母国語に落とし込むレベルの語学力ってのも、重要な局面ではぜったいに必要だと思います。

最後のほうにWindows7の開発・発売と成功についても書かれていますが、なんとなくこの章の中身は若干薄い気がします。樋口氏が最も注力してきたのはエンタープライズ営業で、製品開発にはほとんど関与してないし、Vistaがコケた次のOSなので、XPのまま待っていた人たちが発売後すぐに買ったのは、予想できたことです。まだまだ。ちょっと厳しいかもしれないけど、マイクロソフトは製品の基本的なところを開発する人をちょっと大切にしすぎている気がしていて、ユーザーの便宜のためにもっと開発者を泣かせてほしいと思います。

しかしこの本を読んでもわかるけど、マイクロソフトって会社は自己研さんの会社で、本当に勝ち続けるためには遊んでる暇はない、っていうことが少なくともポリシーとしては徹底されています。それでも、ずっと昔からやっている”クラウド”もモバイルもあまり使われてないし、スマホの時代になってOSの存在感はかぎりなくゼロに近づいていきつつあります。これからどうなっていくのかな・・・。ずっと見守っていこうと思っています。以上。

July 14, 2011

今村昌平監督「赤い橋の下のぬるい水」260

2001年作品。清水美砂と役所光司が主演で、カンヌ映画祭正式出品作品として話題になったあの映画です。

当時すでに私は大きな大人でしたが、”見ちゃいけないいやらしい映画”だと思ってました。実際に見てみたら、全然いやらしくなかった。性を笑える大人のための映画でした。

同監督の「復讐するは我にあり」で印象に残ったシーンがあります。主人公が女性を絞殺した後、失禁のあとを布でぬぐう。そのあと死体の脇に手を入れて引きずっていくと、跡が濡れて残る…というシーン。女性と水があるところにエロスが生じるという感覚を監督は持ってるんだろうか。「赤い橋の下のぬるい水」はこのシーンに起源があるのかしら、と勝手に思ってみたい。

女が噴出した水は樋を伝って川に流れ込みます。その流れ込むあたりに魚や鳥が一斉に集まってきます。同じ土地で昔、カドミウムの入った水をたれ流した工場があって、そこで育った魚を食べた人はイタイイタイイ病になった・・・という設定があって、女、水、エロスに「生」というイメージも追加されます。。

「復讐…」で三国連太郎と禁断の濡れ場を演じた倍賞美津子が、この映画ではかなり年齢のサバをよんでボケの始まった老婆を演じているのが、すごく愉快なんだけど、たぶん「昔は相当エロかった老婆」という役回りなのかなと思います。

どこかおかしみがある、ってのはこの映画全体をずっと流れているトーンです。
20年前の同じ監督の映画で怖く感じた人間ってものが、同じことを演じているのにこっちではおかしく思えるようになるのです。

清水美砂の、声がいいですね。からりと屈託がない。いくら水を噴き上げても、ひとつもウェットなところがない。貞操とか常識とかを守ろうという屈託も感じさせない。表情までわかるような近接ショットは実は少ないので、この映画での彼女の魅力は主に声だと思います。役所広司はどこで何を演じても本当にいそうに見える俳優ですが、この映画でもいいです。乾いているように見えて中が燃えている中年男、そのものに見えます。

ただ、なんとなくおなかいっぱいにはならない映画でした。満腹度でいうと「復讐するは我にあり」が焼肉食べ放題だとすると、こっちは喫茶店のランチセットくらいです。その流れでまた次の映画を借りることにします。以上。

July 10, 2011

市川昆監督「ぼんち」259

市川雷蔵主演の1960年作品。
幻のスター!というイメージが強い人ですが、この映画では育ちのいい、派手さをあまり感じさせない足袋屋のボンボンを演じています。たった100分チョイに一生を詰め込んであって、これだけ駆け足で語るとどうしても寓話っぽくなりますが、十分に描ききっていて、おなかいっぱいな印象のある映画です。

ボンボンの祖母が、朝ドラによく出てくる"怖い昔気質のおばあちゃん"で、女系家族を守ろうとするあまり、ボンボンにちゃんと嫁を取ることも許しません。で、成り行き上メカケが二人も三人も出てくる。ボンボン一代記なのに第二次大戦もはさまれていて、焼け跡に祖母と母とメカケがぞろぞろ集まってくる図は大いに笑えて壮観です。

3人のメカケ(おなじみ京マチ子と若尾文子、それにモダンガールの越路吹雪!)が風呂場で将来の計画をしたたかに語り合っているところをボンボンが目撃してショックを受けて、一切女遊びから足を洗う・・・というオチ。これは女性作家にしか書けない、男から見ると恐ろしい結末なのかもしれません。女は生き延びるのがサガだからね・・・。
とても面白い1本でした。以上。

今村昌平監督「復讐するは我にあり」258

1963年に実際に起こった連続殺人事件を元にして書かれた佐木隆三の小説を、1979年に今村昌平が映画化したもの。主人公の榎津は長崎の五島で敬虔なクリスチャンの家に生まれてやがて別府に家族で移転しますが、キリシタン差別を黙って受け入れる父に反発したまま、反抗的な少年期を過ごします。詐欺や窃盗を繰り返して大人になり、刑務所から出所してきた日に父と自分の妻との関係に疑いを持って家を出てしまいます。その後は脅しや殺人まで犯しつつ、警察の追手を逃れて次々に別の街に移動しながら犯罪を重ねていきます・・・。

これ・・・本当に1979年の映画?
「もう頬づえはつかない」と同じ年だよ?
事件が1963年だから古めかしく作ってあるのかな。見終わった後に一瞬、カラーだっけ白黒だっけって思うくらい暗い。最初はなんて恐ろしい殺人鬼!って思うけど、もう一度見返してみると、小悪党が追い詰められて壊れていくのが他人事と思えないくらい腑に落ちます。それにしても女ってのはどうしてこう、こんな悪い男に連れて逃げてと言ってしまうんだろう。どうして日ごろ、あらゆる理不尽に寡黙に耐えてしまって、あきらめてしまっているんだろう。

立花珠樹「あのころの日本映画がみたい!」で「教科書」(作りこまれた映画のお手本って意味と理解しました)と書かれているので繰り返し見てみたけど、なるほど見れば見るほど細部の伏線が見えてきます。こんな映画を撮る監督の、役者やスタッフをたやすく転がして、見る人の弱い心をたやすく乱す才能と技量が、怖くなってきます。

宗教ってもの自体は悪いことではないはずだけど、弱さゆえに表面的な教えだけに固執してしまった人(犯人の父)は周囲を巻き込んで悪い磁場を広げていく。内臓にズンときます。

さらに彼の育った実家が別府温泉の旅館ってところが重ねてズズンときます。リアリズムを極めるため、監督はその旅館でロケを行い、実際の殺人現場で撮影を行ったそうです。私が子どもの頃の別府は殺人事件のときより、映画が作られたときより、栄光の昔ははるか遠くになっていて、となり町の子ども(私)には路地を入る勇気が出ないすさんだ感じがありました。大分の男の特徴は「髪結いの亭主キャラ」と私は勝手に言っているのですが、汗水たらして働くより酒と女が大好きというイメージのextremeのところにこの主人公がいるようで、そのリアルさがまた怖い。

というわけで、怖いけど今村昌平ものをもう少し見てみようと思います。以上。

July 06, 2011

東陽一監督「もう頬づえはつかない」257

1979年作品。当時の大学生の雰囲気や気分がとてもよく描けている映画だと思います。女子大生「まり子」は桃井かおり。彼女が追いかけている、自分にしか興味がない”ポスト全共闘時代”の年上のライターが森本レオ。桃井かおりが酔ってうっかり付き合い始める大学生「橋本くん」が奥田瑛二。その3人だけを中心に映画は進んでいきます。

「女子大生が愛と性を通じて成長する様子を描いた」って書いてある解説もあるけど、なんか違う気がする。すごく違う気がする。
なんとなく、そんな積極的なところが全く感じられない。だからこそリアル。

私が女子大生をやっていたのはこれより10年後だけど、バブルが来なかった田舎だからか、極めて同時代感があります。狭いアパート、共同電話、ビニールロッカー・・・。ただ、アパートの近くにレストランバーがあったりする都会風の生活はちょっと自分よりカッコいい気がする。。。

ストーリーに優れたところがあるわけじゃないです。古今東西、このくらいの年齢の男女はきっと同じようなことをやってきて、これからも同じだと思います。
別に好きでもないのになんとなく付き合い始めたり、たいした男でもないのに執着したり。大学生くらいってまだ自分の生き方が確立してなくて、こうだと強く言う人がいればそうかと思い、いやそうじゃないという人が現れればそうかもと思う・・・そういう感じじゃないかな。

この映画のイイところは、流されているようでどこか根源的な生存本能を感じさせるまり子の強さと、そんな強い女をどうしようもなく巻き込んでいく、男たちのダメさ、じゃないかなと思います。まり子は職場にゴキブリが出たくらいでキャーキャー騒ぐ女たちを恫喝する。一方奥田瑛二演じる「橋本くん」は、ゴキブリってのは何億年も前から生き延びててすごい存在なんだから殺すな、って訳のわからない理屈をくどくど言う。なんてダメなんでしょう。・・・この場面はこの映画に必須です。これがないと伝わらない。

この映画を勧めるとしたら、すこしフワフワしていた頃の自分を思い出してみたい、という人かな。・・・以上。

July 05, 2011

中江裕司監督「ナビィの恋」256

1999年作品。”名画”(立派な映画、くらいの意味、たぶん)ではないのかも。けどいい映画だ。…と思いました。いつかまた見てみたい。

東京で仕事をしていた娘が沖縄の小さな島に戻ってくる。同じ船に実は、彼女のおばあちゃんの若いころの恋人が乗っていた。おばあちゃんと彼は再会し、60年前の思いがよみがえってくるが、じゃあおじいちゃん(つまりおばあちゃんの夫)はどうなるの?…そんな映画。

ナビィというのは、そのおばあちゃんの名前。「ちゅらさん」で日本中の人気者になった平良とみが演じています。じっくりと重みがあるのに可愛らしい島のおばあです。その夫を演じる登川誠仁はサンシン(三味線)の大家だそうですが、ひょうひょうとしてマジメなのに、ユーモラスで優しくて、いいのです。
東京から戻ってきた娘を演じている西田尚美がとってもステキで、いちばん輝いているときをフィルムに焼きつけた、感じ。島に流れてきた青年とスルっと(ほとんどおじいちゃんに押しつけられるように)恋に落ちるのも、流れるように自然です。

立花珠樹「あのころの日本映画がみたい!」では”キャスティングはパーフェクト”と書かれていて、なるほどその通りだと思いました。

12年前の沖縄で撮られた作品…個人的には沖縄ブームが20年くらい前にあって、それが落ち着いた頃の作品なので、当時は特に見たいと思わなかったのですが(同じ監督の「パイナップルツアーズ」は見たけど)、今だから懐かしい感じで見られたのかもしれません。

あー、本当にゆっくりする旅に出たいなぁ。そろそろ。(日帰り九州とか一泊二日ソウルとかじゃなくて。)以上。

July 04, 2011

松倉秀実・花村剛「iPad知的生産の方法-ビジネスフィールドでの検証」255

面白かったです。
”iなんとか”や”スマホ”に関する本はいろいろありますが、この本は業務上膨大な情報を扱っている2人の実務家(ライター専業でない)が、具体的にどのように自分の仕事をiPadでやれるか、いったいそれで何かが改善されるのか、それとも使わないほうがいいのか、あれこれ自腹で検証した結果をまとめた本です。2人とも仕事がかかってるから本気です。使えない機能やツールがあればちゃんと「使えない」と書いてあります。新しいもの大好きな人たちだと思うので、保守派なら「うーん、このくらいは自分は従来のPCでやるからいいや」と思う部分もあるかもしれませんが。

松倉氏の本業は弁理士。ということはネットでの出願情報調査、過去文献調査、クライアントとの打ち合わせや新しい発明の詳細情報のまとめ、出願書類の執筆、事務所の経営管理に関する情報・・・など、扱う情報量は膨大で、かつ、誤りがないことや機密性が保てることが極めて重視される世界だと思います。同じように文字情報が多く、機密性が重要な情報を普段扱っている人(一般的な会社員はみんなそうだと思いますが)には参考になるはず。

松倉氏の章はまず、専門の特許の観点からのiPad分析から始まります。アップルは昔から、ユーザーが自社製品を手にしたときの感覚や使いやすさを非常に重視してきたことで有名ですが、その研究成果を無にしないための特許戦略もしっかり持っているらしい・・ということが理解できて、一般の会社員読者としてはこれで十分という印象です。

もう一人の花村氏は人の行動分析(歩行や視線の動きの軌跡を計測・蓄積・分析することなど)を専門とするITコンサルタントとあります。ハードウェアやソフトウェアのUI(ユーザーインターフェイス)の開発のための基礎データを作ったり、効果測定を行ったりしているんだろうなと思います。
従ってこちらの視点は、まずiPadのUIに向いていきます。こちらも、専門知識の部分はあくまでも概観にとどめて、一般の読者が退屈せずに大まかな理解ができるようになっているところが、良いと思います。

「自炊」(電子書籍を買ってくるのでなく、紙の書籍を自分で裁断、スキャンして電子データ化すること)についてもかなりページが割かれています。自炊の章は花村氏が書いていますが、次章では松倉氏自ら自炊中の写真も掲載されています。みんな、好きだなぁ(笑)

私はまだ自分ではiPadを入手していませんが、iPod Touchを持っていたり、Googleの各種サービスを使っていたりもするので、今すぐにでも使い始めてみたいツールやサービスも見つけました。いわゆる「クラウド(ここでは、大雑把に言うと各種ツール+サーバー容量をインターネット経由で提供しているサービスくらいの意味)」については、使ってみないと使い勝手や安全性のことがわからないので、実験台になってくれたお2人に感謝です。

で、「じゃあ私は今後iPadを買うのか?」という点ですが、会社に業務用のがあるので今すぐには買わないな・・・。(ただ、”iなんとか”はiTunesと連携して使わないとあんまり意味がないので、自分自身のiTunesと同期できないiPadは、あっても本当には役立ちません。)今は、Android携帯やiPod Touchで、どれくらい電子書籍やアプリが使えるのかという限界を調べてみようと思ってるところ・・・。少なくとも今はまだ、iPhoneやAndroid携帯は電話という必須アイテムだからみんな買っているという面があるので、普及度で負けようがないこれらの「スマホ」で何ができるかの方が、仕事上は興味があるのです。(ただこれは、業界や業務にもよると思います!)

という訳で、いろいろやってみたいけど時間もお金もない、安全性も心配・・・という方々にオススメの本です。自分でもいろいろやってる人には、なおさら人の実験が面白く読めるかもしれません。以上!