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July 10, 2011

今村昌平監督「復讐するは我にあり」258

1963年に実際に起こった連続殺人事件を元にして書かれた佐木隆三の小説を、1979年に今村昌平が映画化したもの。主人公の榎津は長崎の五島で敬虔なクリスチャンの家に生まれてやがて別府に家族で移転しますが、キリシタン差別を黙って受け入れる父に反発したまま、反抗的な少年期を過ごします。詐欺や窃盗を繰り返して大人になり、刑務所から出所してきた日に父と自分の妻との関係に疑いを持って家を出てしまいます。その後は脅しや殺人まで犯しつつ、警察の追手を逃れて次々に別の街に移動しながら犯罪を重ねていきます・・・。

これ・・・本当に1979年の映画?
「もう頬づえはつかない」と同じ年だよ?
事件が1963年だから古めかしく作ってあるのかな。見終わった後に一瞬、カラーだっけ白黒だっけって思うくらい暗い。最初はなんて恐ろしい殺人鬼!って思うけど、もう一度見返してみると、小悪党が追い詰められて壊れていくのが他人事と思えないくらい腑に落ちます。それにしても女ってのはどうしてこう、こんな悪い男に連れて逃げてと言ってしまうんだろう。どうして日ごろ、あらゆる理不尽に寡黙に耐えてしまって、あきらめてしまっているんだろう。

立花珠樹「あのころの日本映画がみたい!」で「教科書」(作りこまれた映画のお手本って意味と理解しました)と書かれているので繰り返し見てみたけど、なるほど見れば見るほど細部の伏線が見えてきます。こんな映画を撮る監督の、役者やスタッフをたやすく転がして、見る人の弱い心をたやすく乱す才能と技量が、怖くなってきます。

宗教ってもの自体は悪いことではないはずだけど、弱さゆえに表面的な教えだけに固執してしまった人(犯人の父)は周囲を巻き込んで悪い磁場を広げていく。内臓にズンときます。

さらに彼の育った実家が別府温泉の旅館ってところが重ねてズズンときます。リアリズムを極めるため、監督はその旅館でロケを行い、実際の殺人現場で撮影を行ったそうです。私が子どもの頃の別府は殺人事件のときより、映画が作られたときより、栄光の昔ははるか遠くになっていて、となり町の子ども(私)には路地を入る勇気が出ないすさんだ感じがありました。大分の男の特徴は「髪結いの亭主キャラ」と私は勝手に言っているのですが、汗水たらして働くより酒と女が大好きというイメージのextremeのところにこの主人公がいるようで、そのリアルさがまた怖い。

というわけで、怖いけど今村昌平ものをもう少し見てみようと思います。以上。

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