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February 2010

February 28, 2010

中勘作「銀の匙」203

なんか本ばっかり読んでる。
この本は、作者が自分のしあわせな子供時代を懐かしんで、その頃のことを子供の絵日記のように書いたもの。読書家を自称するような人はみんな読んでる本、読まなきゃいけない本、らしい。当たりをつけて本屋の店頭で探したら、あった。そのくらい今でも名作としてはメジャーなのだ。読書家以外は誰も知らない作家じゃないかと思うけど、たしかに読んでみるとなんだか味がある。文章ってのはこういうふうに書くのか、という勉強にもなりそうだ。きわめて平易で人のぬくもりや心が入ってる。1900年あたりの、ちょっと裕福な東京の山手の子供の生活がわかる。

どういうわけか、誰かの「私の履歴書」(ご存じ、日経新聞に連載してる会社社長やもと首相や、その他もろもろの偉い人の回想録)を読んでるような感覚もある。弱虫だったわたしがやさしい叔母に大切に育てられ、学校に入ってやがて主席のガキ大将になり・・・。その後大会社に入社して苦労して社長にでもなれば本当に「私の履歴書」だけど、この作品は17歳のときで終わっている。相変わらず憂鬱症ですぐ大泣きする少年が、その後どういう生活を経て物書きになったのか、すこし気になります。

解説(by和辻哲郎)にも書いてありますが、夏目漱石が絶賛したという、大人の手を経ていると思えない子供そのままの視点がみずみずしい一方、集中力と紙一重の「行く道の狭さ」がユニークです。そんな子供がその後どういう一生をおくったのか、興味がでてくる。この感受性、社会に背中を向けて虫や草花とともにあろうとする姿勢が、私の大好きな絵本画家の熊田千佳慕にも似てる気もする。
でも他の作品までは読まないかなぁ、多分・・・。
以上。

February 27, 2010

村田喜代子「鯉浄土」202

2003年から2006年の間に書かれた小品を集めた短編集。
いつもの”村田節”ともいえる表現力は健在だけど、とりたてて心に残るものはないかなぁ。

彼女の小説お作法の本まで読んでしまったからか、ひとつひとつ、たとえば(ああ、これはきっと大工の棟梁に取材して、そこから膨らませて書いたんだろう)(これは銭湯で・・・)とか思いながら読んでしまう。やたら大動脈瘤の話が出てくるのは、この時期に身近な人にそういう病気の人が出たのか。

ところで、私の母もキヨコという名前で(字は違うけど)九州の奥の方の出身で、国語が得意で表現力のすぐれた人でした。母が田舎のおばさんたちやおじさんたちの日々の暮らしを面白おかしく語ると、その擬音語や擬態語の豊かさに、いつも(やられた~)と悔しい思いをしたものです(何を親子で)。

母は比喩をする人ではなかったけど、こっちのプロの喜代子さんの比喩はいつもすごい。鯉コクの大なべにぶっこんだ大量のゴボウは「味噌汁の池に材木を放り込んだような光景」だし、昼間っから法事で酒を飲む人々でいっぱいの会席料理店は「鴉屋敷」だ。

でも最近、比喩とか表現だけでもないよな、って思うんだ。というか、それも素晴らしいけど、今は自分はそれとちょっと違うものを求めてる。人の思いとか情熱とか・・・もっと重みのあるノンフィクションなもの。もっといろんな、本当のことを知りたい、感じ。

というか、そろそろ新しい職場で仕事を振られるようになってきたので、遊んでないで本業に集中してみます。
以上。

February 23, 2010

NHK総合放送文化研究所 編「テレビで働く人間集団」201

NHKには技術研究所と文化研究所があって、文化研の方で「放送学研究」という冊子を定期的に刊行しています。この本はその中の連載をまとめて1983年に出版したもの。もう27年も前だ!しかしバブルのさなか、衛星放送前夜、今の経営陣がバリバリの現役だった頃、という時代のことを知るのも面白そうだと思って買ってみました。

本で取り上げる人々はNHKだけではなく民放や外部の人、たとえば当時すでに引退していた重鎮や、制作会社「テレビマンユニオン」の創設メンバー、カメラマンや記者やアナウンサー、技術者等々さまざまな人のインタビューから成っています。「読むドキュメンタリー」って感じ。

私はほんとに放送って業界のことを知らなくて、新聞や出版のほうがマスコミといってもまだ知識があったと思うけど、それらと決定的に違うのは、技術に負う部分が非常に大きいってことじゃないかな。極論してしまえば、丸一日停電して新聞が発行されなくてもなんとかなるけど(出版はもちろん)、ラジオテレビは存在意義すら揺らぐ感じ。電気だけじゃなくて電波も録画も録音もその他機材のもろもろも、どれが壊れても立ちいかない。新しい技術の恩恵もどんどん入ってくるけど、古い技術が陳腐化するのもあっという間。放送技術ってパソコンみたいに進化を続けてて、まだまだこれから変わっていくんだと思う。

27年前の「副調整室」(収録スタジオの隣に設けられている、モニターや調整のための部屋)の図も載ってますが、奇しくも今日見学してきた2010年の副調整室と比べても、表面的にはほとんど変わってません。カメラのスイッチングや収録室とのマイクでのやりとり、録音、照明、という材料も同じなら調整するのは今も人間。カメラの前で緊張して台本を間違えるのも人間です。・・・つまり、思うに、1スクリーンでも3スクリーンでも、できるだけ良質な動画コンテンツを手作りする人がいれば、見ようと思う人もいるだろう、と思う。作り方や見せ方は変わるけど、YouTubeがいくら人気でもシネコンはまだ増えてるし、あと30年くらいはテレビもなくならないんじゃないかなぁ。

以上。

February 21, 2010

佐藤正午「アンダーリポート」200

記念すべき200冊目にたまたま当たったのは、佐藤正午の2007年の作品。

今回もミステリとも呼べるストーリー、そして今回も、結婚に失敗した気の利かない男が、取りつかれたように過去のある時点に自分が遭遇した事件の謎解きにはまる。そのカギを握るのは、今回も女性。女ってのはそんなに神秘的な感じがするもんなんだろうか。

「ジャンプ」のようなどんでん返しをまたちょっと期待して読んでしまったけど、そんなのはまったくなくて、きわめてリニアな展開です。ただしメビウスの輪のように最終章と冒頭がつながっていて元に戻る。

静かな小説です。ジャンプやYの頃より、前に戻った気がするくらい。主人公が驚く場面がないからかな。主人公の年齢が徐々に上がってきてるからかな。

これが最新の長編かと思ったら、なんと2009年にもう一冊出ている。最近寡作じゃないらしい。そっちも図書館にあるかどうか探しておこう。

以上。

February 20, 2010

山崎ナオコーラ「人のセックスを笑うな」199

学校の飲み会なのに飲みすぎた。
中村イチヤに「学生時代どんな曲をバンドでやってたんですか?」と聞かれたら「ストレイキャッツとか、あとクラッシュとかアラームとか」何と答えようか妄想してたらもう三鷹、まだ9時半前。

今日イベントの前に中央図書館に寄って利用者カードを作ったら、ちょうど返ってきたこの本があったので借りて、電車の中で読み始めた。酔っぱらってるからかもしれないけど、10代の頃の行き当たりばったりな恋愛を思い出した。これは19歳の男の視点で書かれた本であって39歳の女の視点ではない。
文藝賞選考者は、うらやましいほどの才能と評したらしいが、その人はこういう恋愛をしてないか忘れてしまっただけだと思う。だいたい、ピュアで鋭敏な感覚以外に文学で大事なものって、本当にないと思ってるのか?

要は、こどもの頃の恋愛の気分を思い出せてとても楽しかったということです。仕事や部屋の片づけや、その他もろもろのきちんとしなければならないこと、きちんとするのが普通になっていたこと、を全部一瞬れて、何も責任をもたなかった頃の気分を味わえてよかった。

あとさき考えず、相手が誰であろうと。・・・大人ってつまんない、と私には珍しく思った。
ってこれ感想になってんのかよ。

以上。

February 07, 2010

田原茂行「視聴者が動いた 巨大NHKがなくなる」198

真っ当なノンフィクションでした。やけにセンセーショナルなタイトルは「看板に偽りあり」といっても過言でないくらい、長期間にわたる広範な取材で、細部まで事実確認をして書かれた本です。しかも最後に、視聴者から提案したいNHK改革案の著者なりのアイデアを展開して締めくくっていて、"オトコラシイ"。

著者はTBS(前身のラジオ東京から)を勤め上げ、その後も「放送批評懇談会ギャラクシー賞選奨委員」を長く務めた人で、行間からジャーナリスト魂がただよってきてます。

巨大な組織の根深い問題を根本的に解決するのは難しい。状況把握も簡単じゃないし、個別の問題どうしを関連付けるのも難しいし、リーズナブルな解決策を提示して、かつ合意にもっていくのは、それぞれ全部難しい。だから、一般の人たちに広く情報を伝えることは最初の一歩。なにを事実として信じるか、という取捨選択は個人ですることで、その判断力が学校教育で身に着けさせなければいけないことなんだと思います。(本来はね。これも難しいけど)

自分自身、この著者を通じて見聞きしたことが、大きな問題のうちどれほど重要な部分なのかわからないけど、多少なりとも状況把握に役立ったのは確かだと思います。

いろんな本をもっと読み進めてみようと思います・・・この世界は、なかなか興味深い。
以上。

February 02, 2010

土屋英雄「NHK受信料は拒否できるのか」197

この本は、タイトルにあるテーマを、憲法学を専門とする筑波大学大学院教授が丁寧に分析した本です。
感情論に陥らず語義的解釈に徹しようとしている姿勢が評価できると思います。ただ・・・1800円するこの本の本文205ページ中、資料編として「放送法」と「受信規約」だけで半分近く、92ページも占めてるというのは、ネットで買った人はちょっとショックかも。私は図書館で借りたからいいけど。

放送法ができた頃は今のようなケーブルTVはなかったし、地デジもワンセグもパソコン用のチューナーカードもなかった。TVを買ってもDVDしか見ない、なんて人もいなかった。それらのいずれかを買う、イコール、アナログ番組を見る、という推定は、今は成り立たないのは確かです。

でも”法律を作ったのは誰か偉い人で、人民というか自分は搾取されてる”・・・という考え方は、民主主義じゃないと思う。放送法を変えてくれる人に投票して、変えちゃえばいい。そうしないから何も変わらないんだよね。私は自分がそこまで考えて投票したわけじゃないし、自分が国会議員になって放送法を変えるほどの行動力もないので、現状に対してもあまり文句を言いたくない。”じゃあどうすればいいか”を提案したり実践したりしないで、批判だけするのって、なんかオトコラシクない感じがするから。

今日はこのへんで。以上。