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December 2009

December 26, 2009

高樹のぶ子「透光の樹」193

なんとなく引き続き女性作家もの。官能ものとか言うと怒られるのかな。
共通点は裏表紙のあらすじに「肉」という一語が官能を表すものとして用いられている点。そこが嫌いだ!(嫌いなのは作家じゃなくて編集者かも)

いや、もともとこの作家は好きなほうでした。芥川賞受賞作の「光抱く友よ」は、筋は忘れたけど、好感をもって読んだのを覚えてる。今回読んだ本も、イヤらしい感じではなかった。
女性心理を描くという点では小池真理子のほうがずっと微細だ。高樹のぶ子はもっとそれを外側から、鳥瞰的に描こうと、すごく努力してる感じがする。

すっかり印象が悪くなってしまったのは、ずっと日経の朝刊に連載してた「甘苦上海」のせいだ。毎朝ではないんだろうけど、朝っぱらから官能だの肉だの情愛だの、なんで経済新聞の朝刊にあのような小説を載せるのか、理解できない・・・。新聞社の名を冠した週刊誌を買ったらヌードグラビアが載ってた、というくらい不適切な気がする。ああいう、こういう、小説は株価と一緒に読むもんじゃないだろ?

さて、そろそろもっと硬いものでも読むか・・・。

December 25, 2009

小池真理子「虚無のオペラ」192

例によってパパ'sライブラリから。

著名な日本画家の裸婦モデルをしている主人公も、もう46歳。彼女は盲目の妻をもつ8歳年下のピアニストと不倫してきたが、ついに別れを決意する。その理由は彼の妻の妊娠でも画家の自殺未遂でもなく、だんだん細っていく自分の行く末と彼の生き生きとした若さとのギャップに耐えられなくなったから・・・。

そんなストーリーでした。

タイトルも裏表紙のあらすじも、強すぎる香水のにおいのようで読む前からゲンナリしてしまってたのですが、最後まで意外としっかり読めました。イヤらしすぎないし、性愛を描くというより女性心理をみっちり描き上げた感じ。徹頭徹尾内向きかつ後ろ向きな主人公なのですが、気持ちの流れはわからないでもない。

「恋」を読んだときの感想を探してみたら、ありました。これです。ほめてますね、私。

年ってのは誰でももれなく取るものなので、相手がいいというなら自分が年上でも気にすることはないと思うんだが・・・若いったって相手も38でしょ。でも相手がいいというかどうかが気になる、というところまでは私にも理解できる。「気色わる!」とか言われたらきっと傷つくだろう、と思う。

でも逆の立場なら。8歳年上の男性もきっと十分魅力的なはずで、シワはシワとして、ハゲはハゲとして、ビール腹はビール腹として愛せると思う。でも8歳年上の自分に引け目を感じているというその人の感覚だけは愛せないかも。

だって8歳や15歳くらいなら、出会って恋愛ができるだけ幸せでしょ。年齢差が40歳だと、どんなに惹かれあってもお付き合いするのは物理的に難しいかもしれない。第一性別が男と女というのは幸せで、同性だと相手も世間も簡単には受け入れてくれないかもしれない。もっというと相手が動物とかモノとかだったら・・・(以下略)

私って前向き?

December 21, 2009

佐藤正午「小説の読み書き」191

この本は小説家佐藤正午が、若かりし頃に読んだ歴史的な名作小説をあらためて読み直し、コンテンツではなくその文体表現に着目して表現の裏にある著者の意図を読み解こうとする・・・という本。読書のすすめなのか、小説を書くことのすすめなのか、どっちもなのか、渾然一体とした本です。

なんかこの人、各小説家の文体のクセや個性に、なにがなんでも意味があるということにしないと気が済まないようです。そしてどうしても意味が見いだせない場合、文体に頓着しないという確固とした意思がある、と結論づけます。小説のコンテンツに興味がないんだろうか、この人は。

でも正直なことをいうと、私もわりと文体が気になる方です。ただし佐藤正午氏は「文体は作家が隅々まで意図して作り上げたもの」という前提でその意図を探ろうとするのに対して、私はいつも「文体は意図するとせざるとに関わらず、作家の性格が自然とにじみ出るもの」という前提で作家の人となりを見抜こうとする、という、けっこう根本的な違いがあるようです。そういう違いはあるにしろ、文体にこだわった小説論なんて他に知らないので、この本を読み終えて俄然、過去の名作を読んでみたくなったのは確かです。

しかし私ほんとにいわゆる名作って読んでないなぁ。こんなに活字大好きなのに、子供のころ何やってたんだろう。家にはちゃんと日本文学全集もあったんだけど・・・。ところで夏目漱石や川端康成、といった超有名作家のほかに、中勘助という圧倒的に知名度の低い作家の作品も取り上げてあります。この人は音楽でいえば「musician’s musician」、岩波文庫の売り上げベスト10の中で3位に入るというすごい売れ方なのに誰も知らない(小説好きな人以外)。気になってしょうがないので、とりあえず「銀の匙」という本を買うことに。オールタイム・ベストセラーらしく、近所の書店でも売ってました。

話がそれましたが、文体に着目して名作を読み直すの、賛成です。特に翻訳にたずさわってる人は、コンテンツは借り物で表現を工夫するのが仕事なので、こういう読み方をすることが仕事上の学びに直結するのでは?と思います。

あー、また本がたまってきたな・・・。以上。

December 11, 2009

佐藤正午「5」190

解説には「中年夫婦がかつての愛を取戻し・・・・・著者の最高傑作」と書いてあるので、まさかあのシニカルな著者が正統派感動的恋愛小説を書くことにしたのか?と思ったら、やっぱり違ってた。しかしエンディングは決してシニカルではありません。愛とスープは必ず冷めるが、それでいいのだ。またいつか会える。

登場人物には共感しないし、むかむかする場面も多いけど、それは小説だからいいのだ。
いやな部分があるとすれば、いままでカタカナで書いてたのに「SEX」ってアルファベット表記で通してるところが、なんか嫌。愛をLOVEって書く日本人作家は見たことないし、外来語でも日本語として通ってる場合CHOCOLATEなんて書かず(ましてや大文字で)カタカナで書くでしょう。なぜ今回そうしたんだろう。

いまの自分の年齢を超えて、先に著者と登場人物たちが老成してしまったなぁという印象もありました(若干ネガティブ)。これはまったく自分の精神的肉体的な個別性に起因する感覚なので誰の参考にもならないけど。

ふうん・・・こうなってきたのか。佐藤正午って作家は。
そろそろエッセイ大人買いしてみよう。以上。

December 04, 2009

佐藤正午「Y」189

連続3冊目。この本の初版は1998年、「ジャンプ」(2000年) の一つ前の長編小説です。ジャンプもミステリーだけどあっちはSFの領域には踏み込んでない一方、こっちはちょっと踏み込んでるので、読み進むうえでちがう心構えが必要かも。

感想:スリルとサスペンスであっという間に読んでしまいました(シドニィ・シェエルダンの読者ふう)。かつ、すごく佐藤正午らしい展開と、いつもながらの達者な筆運び。まあ満足な読後感・・・ですが、読む順番を間違えた。先に「大どんでん返し!」がある本を読んでしまったので、結末に大きな動きを期待してしまい、「・・・あ、・・・そう。」という気持ちに一瞬だけなったのも確かです。

長々と書くよりもっと読みたいので、次いきます。以上。