いやーこれは良い本だ。常に「原典に当たれ」という教授があえて推す評論だけあります。著者の調査力、分析・洞察力もさることながら、平たい言葉で説明する能力がすばらしい。現代アメリカの背景についてちょっとでも考えることのある人は、一度読んでみるといいかも。「トクヴィル論」でもあり「トクヴィル伝」でもあり、平易に書かれているのでジュヴナイル向けの「野口英世」とか「エジソン」みたいに半日で読めます。
さて内容について。
アレクシ・ド・トクヴィルはフランス人弁護士(のちに政治学者、政治家)で、独立宣言後半世紀を経たアメリカに視察旅行に行った後に「アメリカのデモクラシー」という本を著しました。
その中で「デモクラシー」ってのはアリストクラシー(貴族政治と訳されることが多い)に対比する語であり、"政治だけでなく社会状態はそこに暮らす人々の思考や感性のあり方まで含む、一つの社会類型(p12)"を表す語として用いられています。
身分制度に反発して革命を起こして間もないフランスの貴族階級の人がアメリカを見に行って書いた本、ってところがポイントです。「外から見たアメリカ」であり、「フランス貴族向けデモクラシー入門」なのであります。結局のところ言いたかったことは「ゆくゆくは平等社会が来るのは避けられないから、みんな覚悟しておこうね」って感じ。
おおざっぱにいうと、デモクラシー前の社会は「不平等(身分制度)が当然であり、違う身分の人をうらやむこともない、不安のない時代」、デモクラシー後の世界は「平等が当然なので、少しの不平等が非常に不満に思える、それに自由すぎて標準化した自分の価値判断の物差しを持ちにくい不安な時代」だといいます。
そもそもアメリカのデモクラシーは純粋なデモクラシーとは異なる。アメリカは東部に入植したPilgrim fathersが身分階級をあえて持ち込まずに小さな共同体を始め、それを徐々に集まって州、連邦へと広げていった国で、すでに身分階級でがんじがらめになっているヨーロッパ諸国がそのままなぞることはできない。・・・というのも彼の重要な視点です。
トクヴィルのデモクラシー論は本国ではあまり評価されなかったけれど、アメリカでは大きな政策変更や危機のたびに再評価されてきて、大統領演説とかでもよく引用されてきたし、今また(2006年の時点)読まれているらしい。・・・なーんだ、アメリカ人だってアメリカ論が好きなんじゃないか。"「菊と刀」にはじまり、日本人は日本人論が大好きで、いかに日本が特殊かを嬉々として語る"みたいなことを言う批評家がよくいるけど、アメリカ人も同じじゃん。
そして著者は最後に、Googleのページランクだってデモクラシーであるので、アリストクラット(秀でた一部の人たち)でなく大衆が選んだ意見に大多数が従属するわけで、デモクラシーの利点と弱点が当然伴うという話にも触れています。歴史は繰り返すなり。世界中のマーケットを世界各国が狙うようになっている今、大きいものを狙うかぎり、デモクラシーに逆らっているとやがて滅びるのかな、という気もしてきます。
たまたま学校で、企業におけるアメリカ的方法論と日本との対立という話をしてたので、この本に共感するところが大だったのですが、違和感を感じた点が2つあります。
1.「不平等が当たり前だった世の中」ってのが想像できない。日本に厳しい身分制度があったことは知ってるけど、越えられないそのボーダーラインに、下の身分の人たちが満足してたという図が浮かばなくて、常に下剋上のチャンスをうかがってたようなイメージがある。私が間違ってるのかな?
2.アメリカ的デモクラシーを輸入しようとしても、日本は政治以外の「そこに暮らす人々の思考や感性のあり方」はうまく導入できなかったのでは?
最近オバマ大統領が核の廃絶と言い始めてから三宅一生が実は私も被爆者だったとカミングアウトしたりするのを見て、日本人は敗戦国っていうだけじゃなくて、原爆を落とされたという「怒り」より強い「恐怖」にずっと縛られてきたのかな、と思ったりします。これから少しは心を開いて「アメリカ」でなく「デモクラシー」を取り入れられるのか???まだ全然わかりません。
しかし私本読みすぎブログ書きすぎ。