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September 2008

September 29, 2008

逢坂剛「よみがえる百舌」134

面白かった。これは「百舌の叫ぶ夜」の続編なのですが、本編より評価高くなってますね、私。

ハードボイルドだけど、主人公が気骨のある女性なのがいいのかな。白髪交じりの年上の男性との恋も、ほほえましい。登場人物が生きてるし、展開がスリリングでどんどん読み進んでしまいました。(読了ゆうべの2時)

でも、たくさんあった伏線って全部収束したっけ?最後の方は眠くなってたから、見落としたのか、私?

直木賞を受賞した「カディスの赤い星」を早く読みたいんだけど、上下2巻なのでちょっと迷ってます。その前に読まにゃならん本もたくさんあるしな・・・。

September 26, 2008

村田喜代子「八つの小鍋」133

村田喜代子の小説はつかみどころがなくて、たぶん作者も意図してるんだろうけど、ボケ老人の話を聞くともなく聞いてるような感じだ。「鍋の中」以来ずっと、現実と創造の境目をわからなくすることに血道をあげてる。と同時に、「熱愛」では、突然消えてしまい、事故にあったかもしれない友達を、あきらめつつ絶望しつつ探し続けるという状況の人の心の動きに興味をもち、克明に想像し、描写しつくすというねちっこいプロ文章屋根性を見せ付けてくれます。

知りたい、書き切りたい、というおそるべき好奇心。そのエネルギー。

細田和也「作家の値うち」という本があって、そこでは村田喜代子は「うすい、物足りない」と書かれてるけど、たぶん童話や昔話だと思って読めばいいんじゃないかな。人間の真実に立ち向かっていく熱情みたいなものは、この人にはハナから全然ないので、彼には物足りないでしょう。

好きな作家なのでたびたび読み返してるんだけど、今回初めて私自身も「確かにうすいなぁ」と感じました。まとまりが少し足りない。ぼやっとしたおとぎ話の世界が、エンディングに向かってつながって1つに収束する・・・というのがなくて、だだっ広いところでぼんやりしたまま終わる。単行本じゃなく短編集という形で読んだのも原因じゃないかな。グレーテスト・ヒッツ(受賞作ばっかり入ってる)ではなくオリジナル・アルバムを聴かないと、作家の世界はわからないのだ~。

今回初めて感じたことをもう一つ。この人の作品には「人生をフェイドアウトする」、「迷惑をかけずに人生を終わる」的なモチーフが繰り返し出てくるんだけど、確かに自分が老醜をさらすのは怖い。私の母は50ちょっとで逝きましたが、年をとって迷惑をかけたくないと言っていた気持ちが、そろそろ私も実感できる年頃です。

そう考えると、年をとるというのはおもしろく興味深い。「老醜」はうれしくないけど、年をとらないとわからない領域に足を踏み入れられる。若いころは、年とってもロック聴くぞ!とか思ってたけど、もっと不思議な未知の世界があるのかも・・・。

解説者は、(解説者ってのは常にそうだが)大いに褒めてる。ドイツ文学者・エッセイストだそうだ。なんとなく、日本の小説や読者はものごとに意味を持たせなければ気が済まないかんじがするけど、ふだん外国ものを読んでる人なら、ほめるのもなるほど、と思いました。以上。

ぱーぷる「あしたの虹」132

いやーびっくりした。

私も好きなあの大作家僧が、こんなものを書いていたとは!私(←オバサン)としてもケータイ小説デビューです。
昨日の日経夕刊ではじめて知って、さきほど一気にPCで180ページ読み切りました。重さとしては「サザエさん一冊」程度でしょうか。ケータイ画面1ページのコンテンツって4コマまんが1本くらいなので、あっと言う間に読み切れます。クリック、クリック。

内容は小娘コミック(ステキな人と恋におち)+ハーレクインロマンス(しかも、二人のイケメン!)+シドニィ・シェルダン(芸術家、道ならぬ恋、突然の死、)なのですが、私はかならずしも娯楽小説を否定しません。ロマンチックな気持ちになれてひととき楽しめるというのはよいことです。寂・・・いやぱーぷるさんはとにかく面食いだから、みんないい男ばっかりなのがすこし鼻白みますが、ヒロインのユーリちゃんはかわいい。

なにより作家のチャレンジを讃えたい気持ちでいっぱいですが、ケータイ小説に興味をもったことのないオトナの入り口になるだろうし、読んでみたら?・・・と思います。以上。

ちなみに、現物はこちら:http://no-ichigo.jp/read/book/book_id/89873 (本屋でも買えます)

September 23, 2008

向田邦子「思い出トランプ」131

向田邦子は私にとっては、昔は「寺内貫太郎一家」、今は「向田邦子の手料理」で、この人の本を読んだことは実はなかった。お弁当の本を買ったら、曲げわっぱに玄米飯を詰める人たちがみんな「向田邦子の手料理」をお手本にしてるというのでその本を買い、買ってみたらそれに載っている向田邦子の写真があまりにりりしくて美しいので、著書も読んでみたくなった次第。TVドラマ化された「向田邦子の恋文」を見たのも、きっかけのひとつ。

小さい頃に見たNHKドラマの「阿修羅のごとく」はトルコの軍隊の音楽?がテーマ曲に使われていて、ドンシャンドンシャンといううるさい楽隊の音が今でも忘れられないけど、内容は全然覚えてない。そんなのどうでもよくなってしまうほど、「手料理」に載っている白黒の彼女の写真は美しい。肩くらいの髪を中分けにしてマントを羽織ってきりりと歩く姿は、今なら指揮者の西本智美みたいに、女性から憧れられそうな涼やかさだ。

そんな人が何を書くのかと思って読んでみたら、暗くて驚いた。どうやったらあんなに涼しげな人がこんなに人間の深部の隠しごとを書いたり、それを売ってお金を得たりするんだろう。写真を見る前に本を読んだら、これを書いたのは暗い目をした初老の男だと思ったかもしれない。

短編のなかで、だいたいいつも誰かがあまり気持ちのこもらない浮気をする。自分が浮気をしているのに妻のことを疑う。著者の姿を思い浮かべながら読めば、彼らも目元の涼しい美男美女だと想像できるかもしれない。

直木賞作家は純文学ではないのか、という疑問について「あとがき」で水上勉が書いているが、私は向田邦子は純文学 nearly equal 芥川賞作家ではなくてまぎれもなく直木賞作家だと思った。純文学をほめるつもりはないけど、この人には純文学のいやらしさ(わざと起承転「結」をつけずに読者を突き放すところとか)がないし、この人が描こうとしてるのは芸術ではなく人間の俗っぽさだから。

清廉潔白くそまじめな父親がキセルをして駅員にとがめられることは・・・その人の人格を否定するような大罪ではないけど、それを素直に謝らずに、取り繕うことがその人を汚してくんだ、と私は思う。わたしたちが嫌う政治家のズルさ、みたいな世界だ。そういう後ろ暗さや疑い深さがこの人の作品には常にある。

すっきりして見える人にも裏がある、っていうことなのかな。・・・でも裏がこれでは自分を支えきれない。もろくてとても弱い人たちだ。暗い表情をしたり、大泣きしたり、ひとに当たり散らしたりする人のほうが、まだ健康で強い。

という訳で、この人の手料理は好きだし、写真を定期入れに入れたいほど憧れるし、あふれ出る才能も見えたけど、愛読書にはできそうにありません。やっぱり私はまた村田喜代子を読もう・・・・