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August 2008

August 22, 2008

ジョナサン・サフラン・フォア「エブリシング・イズ・イルミネイテッド」130

昔だったらこういうタイトルは邦訳するもんだが、カタカナでそのまま出しちゃうところが、洋楽のアルバムタイトルみたいだ。
(映画化されたものは日本で「僕の大事なコレクション」というタイトルで公開されて、案の定ぜんぜんヒットしなかったみたい)(注:その後ネットでいろいろ調べたら、ひまわり畑の中に家があるとか、主人公は家族のものをコレクションする趣味があるとか、かなりユーモラスな部分を新規に構築してるようだ。評価は高いけど、本のほうはそれほどおかしくないです。本を読んで映画を見た人の評がひとつもないのは残念だ)

この小説のテーマは、ユダヤ人大虐殺、なんだろうか。
あの超大国はユダヤが祖国を作り上げようとした新天地であり、あの国の行動のすべてが、リベンジのように思えてくる。・・・などということを書けるのは、筆者がクルマであってこのブログのオーナーが匿名だからだけど。

この本は、書評かAmazonのオススメか何かで見つけて、レポートで超忙しい時に(いつか読むだろう)と思って買った。分厚くて高い翻訳書、帯にはイライジャ・ウッドで映画化されただの、アメリカのどっかの書評でベタボメの天才新人だの、読めば読むほどうんざりするようなつまらない褒め言葉ばかり。でも前に若いベルギー人の女の子の書いた「殺人者の健康法」というのを読んで驚愕したことがあったので、タイトル買いしてもいいことにした。

翻訳がとても良くて、英語くさい言い回しも、ウクライナ人のひどい英語を日本語で置き換えた表現も、さらりさらりと読める。それでもなお英語圏の賢い若者くさい素直じゃない文章がちょっと鼻につくなぁ、と思いながら読み進みます。3分の1あたりで(この作家ボルヘスが好きなのかな。現代版「砂の本」?)と思い、半分を過ぎたあたりから夢中になって先を追っていました。前述したことは全部事実だけど、でもやっぱり面白い。この「面白い」というのは、「20世紀少年」とか「ダヴィンチ・コード」が面白いというのとは違って、「Monster」とか「2001年宇宙の旅」が面白いというのに似ていて、私がいつも言う「文学ってのはどっか遠くに連れてってくれるのがいい」という度合が高い、未知の世界との出会いがある、という意味です。

前置きはこれくらいにして。

ジョナサン・サフラン・フォアという作者と同名のあるユダヤ系アメリカ人の作家志望の青年が、祖父を強制収容所送りから救ったアウグスチーネという女性を探しにウクライナへ単身旅行します。この小説は、その青年と、ウクライナで即席通訳ガイドとなった下手な英語をしゃべる現地の青年とその祖父と「サミー・デイヴィス・ジュニア・ジュニア」というメス犬め(原文ママ)の一見ロード・ムービーのような小説です。

舞台になってる、ウクライナにかつて存在した町の名前が「トラキムブロド」。私はこういうエキゾチックな名称に弱い。素敵ねぇ。ノバヤゼムリャとかチェブラーシカとか、ロシア系の語感ってぐっときます。

小説なのにクセで、以下印象に残ったところ:
p86 「ユダヤの言葉?」「イディッシュだよ。たとえばシュマックとか」「シュマックとはどういう意味ですか?」「感心できないことをする人がシュマックさ」「ほかの言葉も教えてください」「パッツ」「どういう意味ですか?」「シュマックと似たような意味だ」「ほかには」「シュメンドリク」「意味は?」「これもシュマックみたいな意味だね」「シュマックに似てない言葉は知らないのですか?」
・・・ほとんど林家三平だな。

p118 この本では常に登場人物が、語り手が、「愛について」語るんだけど、誰も本当にだれかを愛してはいなくて、みんな愛するということを愛しているだけ。「本当は一度も愛したことなどなかったの」といった5分後に「愛してる」といい、本当の愛ではないとわかっていても、相手を失うと絶望して死んでしまったりする。このページでは、老いた父と幼い娘が、お互いを思いやって「愛してるよ」といいあう虚構を演じ続けている、と書かれてる。
・・・若い子たちの恋愛のように胸が痛いけど、一見俗っぽい「いまどきの子たち」の方がずっと、そうやって人生を読み切ってるのかもしれないんだよなぁ。

p208 ウクライナ人の下手くそな通訳の青年が、作家志望のアメリカ人に宛てた手紙の中で、「たしかに、まちがいなく、きみはぼくよりずっとたくさん多くの本を書くでしょうが、作家に生まれついたのはぼくのほうで、きみではありません。」と告げる。
・・・世の中には虚構を書く人と、虚構を生きる人がいる。

p277 ある人が自分はもうすぐ殺されると思って、友人に指輪を託す。
アメリカ人青年と即席旅行社ご一行が、そうやって集められた遺品を見ながら、こういうときのために指輪を託しておいたんだな、と言うと、
「いいえ、指輪はあなたたちのために存在するのではありません。あなたたちが指輪のために存在するのです。指輪は万一あなたたちに備えているのではありません。あなたたちが万一指輪に備えているのです」
・・・遺跡だとしたら当然そうだな。主人公はとうぜん、掘り返す誰かではなく、掘り返される誰かのほう。


読み終わってみると、ボルヘスっていうより、現代的でせっかちで現実の戦争が出てきたりするあたり、村上春樹なのかも。アメリカの人は意外なくらいムラカミを読んでるから、実際影響受けてるかもね。

遠くに連れていってくれるという読書の醍醐味を味わえたことは確かです。その後この作家が何をしてるか、調べてみよう。

以上。

August 02, 2008

常盤文克「ヒトづくりのおもみ」129

121、124につづく「モノ・ヒト・コト三部作」の最後。

面白かったです。3冊目にもちゃんと新しい発見があります。
3冊読むことでやっと見えてくる作者の特徴も、あります。

たとえば。
p33 英国のオックスフォード、ケンブリッジ両大学では、「いかに下手に話せるか」というエリート教育を行ってきた。無難にまとめた内容を上手に話すより、下手でも内容の濃い話を誠実に話す方が聞き手に訴えかけ、思考を促す、ということだそうです。・・・これね、真実なんですよ。大学院で何度もプレゼンをさせられたけど、ものすごーく話がうまい人は、話の内容じゃなくて話がうまかったことばっかり覚えてしまう。トツトツと不器用に話す人は、内容まで誠実に聞こえる。あるいは英語を話していても、日本語英語で一言一言をはっきり言うほうが、アメリカ人を気取って流暢に話すよりも胸にひびく。そこまでわかった上で「下手に話す教育」をやるというのは、とっても頭がいい、と思う。

p70 おっと津田梅子や石井筆子が出てきた。
正直、福祉の仕事って興味があるんだよなぁ。ものを作って売って儲ける、ということに若干むなしさを覚えることもあるのだ・・・。この気持ちはずっと持っていて、いつか何らかの形で実現したいです。

p133経営者は「きらめく旗」を掲げることによって、「コト」を起こして「ヒト」をまとめることができる。きらめく旗とは、「大きな夢や熱い思い、それを実現するための行動指針を誰にでもわかりやすく言語化したもの」。例としては武田信玄の「風林火山」などをあげてます。

p144 Diversityなんていまどきの外来語は使わないけど、雑木林は杉や松だけの人工林より強い、という話が何度も出てくる。根の張り方や枝の伸ばし方、葉の茂り方がいろいろな木が生えているほうが、山は嵐にあっても崩れにくい、といいます。サバンナの動物たちは弱肉強食だと思われてるけど、ライオンに食べられるシマウマも、群れを作ってうまく生き延びて、共存ができている。社会も会社も、すぐれた人だけじゃなくて、いろいろな人がいないとだめだ。

p182 PCなどのアセンブル製品の部品不良が引き起こす問題と品質管理について。部品の一つに不具合が起こることは、ままある。誰が悪いと責めるのでなく、ばらばらに作られた部品が最終製品の段階で「合成の誤謬」を起こさないよう、密接に連携し、共同で責任を負担するべき・・・といいます。私も、それが唯一のほんとうの解決方法じゃないかと思う。

p183 バイオエタノールの問題。トウモロコシが高くなると貧困層が困るだけじゃなくて、地球全体からみて耕地のバランスも崩れる。クリーンエネルギーだともてはやしても、地球全体で「合成の誤謬」が起こりうる。・・・この問題に関しても、常盤節というか、著者らしい切り口なのが一貫してていいと思います。

この本を読みながら、心の中に、小学生の夏休みに行った両親の実家の里山の風景が浮かんできて、さわやかな気持ちになりました。青い半ズボンと白いランニングで、虫取り網を持って顔中で笑っている、小学生の常盤少年の姿も見えてきます。「こどもの心を忘れるな」ということをあまりことさら強調しないのですが(p47あたりでは触れてますね)、少年のままの心を持ち続けて会社員人生を生き抜き、会長を務めて退いてもなお持ち続けている、しぶとさと自然さがまぶしいです。

やっぱり、「迷ったら自然にまかせる」という考えは正しいと思う。仕事や人間関係や、いろいろなことに迷ったり悩んだりしたときは、心を開いて自然の流れに耳をすませよう、と思います。