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December 2007

December 28, 2007

外山滋比古「思考の整理学」101

1986年に文庫本の初版が出て以来、37刷を数える、息の長いベストセラー。
論文を書きあぐねている学生などに役立ちそうな、考えのまとめ方のヒントがたくさん詰まっています。

冒頭から末尾まで、徹底して、「教え込むだけの学校教育」を批判していますが、では何を推奨するかというと、明治時代の「漢語を意味もわからず暗誦させる教育はよかった」。わからないなりに覚えて、それがどういう意味だろうと自分で考えるところから学びが始まるといい、それが親方の背中を見て技を盗む徒弟制度に通じるといいます。
・・・ほんとかな。漢語を暗誦させると、興味をもってついてくる数パーセントの人は濃い学習ができるけど、戦後の日本はうすく広く、誰でもソコソコ字が読めて計算ができるための教育をしなければならなかったから、裾野を広げることに徹したんじゃないのかな。徒弟制度は職業だし、生活がかかってるから真剣にもなるだろう。漢語を純粋に学べるのは不労所得で食える人たちであって、一国が国民のすべてを教育する方針にはふさわしくないと思うのだ。だからこの人はむしろ、一般向けの教育の価値を認めた上で、少数の向学心あふれる人が受ける高等教育のレベルを上げることを考えて、提案をするとよかったんじゃないかと思う。

・・・とつい反論してしまうのは、内容がランダムで、エッセイ集という印象だからかな。同じことが何度も出てくるし、例の引き方などに「?」とクビをかしげる部分もある。37刷という数はこれが普遍的な名著であることを示す条件として十分なのかもしれないけど、読む側が賢く取捨選択したほうがいいような気がする。まったくの初学者には、私はこの本は薦めないと思う。つまり、整理学の本なんだけど、これ自体はいまひとつ整理されてないと感じる。(辛らつすぎますか?)

「発想法」は、手元に置いて何度も読み返して、使いたいと思ったんだけどなぁ。

以下、例によってメモ:

p45 自分の考え(ベース)があって、それを他人の考えと混ぜていくのが「カクテル」(よい考え)で、ただ並べるだけでは「ちゃんぽん」。ほかに、いまの学校制度で育てているのは風にまかせて流れていくだけの「グライダーの操縦士」であって、自力で飛行する「飛行機の操縦士」ではない、と繰り返し述べています。

p50 クリエイションとメタ・クリエイション。まず思いついたことをメモして、それを寝かしてから取捨選択し・・・を何度か繰り返して、テーマ別のノートを作る。ということを薦めています。「こんなのPCを使えば簡単だし、有意義だ」とも思う。一方、手でただ書くというのも、頭に叩き込む上ではいいと思う。これは後述の「三上、三中」に通じる単純作業なのかもしれないけど。

p66 おっと、1986年にセレンディピティに触れている。この人の解釈は単純に語義的で、腑に落ちないものもあるのだ・・・たとえば、試験前夜に勉強に没頭できず、関係ない哲学書を読みふけって、そのときにすばらしい発見があったら、それもセレンディピティだというのだが、それなら私がレポートを書けずに料理にふけって、素敵な新しいレシピを思いつくのもセレンディピティか!?ちがうと思うが・・・。

p113 「脳内の情報の整理はREM睡眠中に行われる。」要らないものは忘却の方へ押しやられ、重要なものはすぐ出せるところへ。・・・デフラグ?人間の脳も、完全に忘れるんじゃなくて、一生懸命思い出せばよみがえる記憶も多いらしいし・・・。

p117 本筋に関係ないけど「泥のように眠る」という表現が出てきました。私もこれ使うんだけど、ほかの人はあまり使わないみたいだ。出所は何なんだろう。あとで調べてみよう。

p172 三上(馬上、枕上、厠上)は考え事によい、と中国の偉人は言った。外山氏は無我夢中、散歩中、入浴中をいい考えが浮かぶ「三中」とした。無我夢中ってのは無理があるな・・・。「見つめるナベは煮えない」というヨーロッパのことわざを引いて、考えを寝かすことの重要性を説くのは、なるほどと思うけど。
自分の場合を考えてみると、お風呂読書中、ファミレス読書中、図書館読書中、というのが「三中」ですかね。動き回れないので、読書にちょっと飽きてくると頭が勝手にあちこち自由な思考を始めてしまって、読書メモにぜんぜん違うアイデアを書き連ねてることがある。昔は編み物中も、手が自由でないけどあまり頭を使わないので、落ち着いて考え事をするのによかったなぁ。

この本で一番役に立ちそうなのは、p134からの「とにかく書いてみる」という章だと思います。材料がたくさんあって、どうやってまとめようと迷うときに、「とにかく書いてみなさい」と説きます。どうしてもうまくまとまらないときは、スライドにしてみるのもいい。構成ができてから文章で書き始めるほうが早い・・・という話をきいたこともあります。

本ばっかり読んでないで、私もアウトプットしなければ・・・。
以上。

December 25, 2007

結城信孝・編「花ふぶき・時代小説傑作選」100

面白かった。いやー、時代小説いいわ。
8人の短編が1つづつ収められてます:乙川優三郎、諸田玲子、佐伯泰英、高橋義夫、杉本章子、鈴木英治、今井絵美子、山本一力。

テーマはいずれも「人」特に男と女、義理と人情。私の嫌いな「お家のために死ぬ」というテーマも一貫してみられますが、小説の中の忠誠心は愛や生活のスパイスとして効いてきます。たとえば、秘めなければならない恋だから美しい、という。

編者解説から引用させてください。
『現代小説の多くは、3つの要素-泣ける、癒される、元気が出る-の押し売りにすぎない。そう言い切る某書評子は、憤懣やるかたない感じで泣ける話、癒される小説、元気の出る本などの大洪水に悲鳴をあげる。・・・(略)・・・一体いつから日本は感動の押し売り国家になったのだろう。・・・(略)・・・すぐれた作品は格別に「泣き」や「癒し」などの色褪せた包装にくるまずとも、ストレートに読者に受け入れられる。作品の内的部分を声高に、あるいは筆の勢いで強要すべき類のものではない。作品それ自体を読み手の感情に委ねていけば、それで十分だと思うが。近年、時代小説が安定した読者層を獲得している背景には、それらの安直な押し売りが比較的少ないことが影響しているのかもしれない。』

そうなんです。文学のたのしみは、「予想もつかないところに連れて行ってくれること」。だから私はボルヘスとか村田喜代子とかアンジェラ・カーターとか、現実と空想の境を行き来するような小説が好きなわけで(って書いたことなかったっけ)、「私も泣きました!」って有名人が宣伝してる小説や映画には食指が動かないほうです。

でも空想の世界が書いてあれば何でもいいわけじゃなくて、意外な深み、人間ってええなぁっていう感動、えぇっというかるい驚き、みたいなものが味わえればジャンルは問いません。

本当は、私はさっきも言ったように、”お家のために死ぬ”が大っ嫌いなので時代小説は読まないほうないんだけど、深くて豊かな文学世界が広がっていたのですね。私が読みそうにない時代小説を100冊も送ってくれた父親に感謝だ!

福袋を買ったら入ってた、自分では絶対買わないような服を、組み合わせて着てみたら意外と自分に似合ったりして。・・・そんな気分です。「xx堂オススメ本の福袋!」なんてのを出してみても面白いと思うんだけど・・・割引にはできないけどさ・・・。

December 18, 2007

宮永博史「ひらめきを生む発想術」99

「セレンディピティ」で去年全国の書店のビジネス書売り場を賑わした、宮永博史氏の新作です。

「セレンディピティ」と「ひらめき」は、似てるようで違う。セレンディピティは目の前で起こる「幸運な偶然」という事実で、ひらめきは頭の中で起こるアイデアの発現、だと思います。イメージとしては、セレンディピティのおかげで特許を取った vs いいアイデアがひらめいたので事業を起こした、って感じで、どうも前者は理系的・科学的、後者は文系的・ビジネス的な印象が強いけど、必ずしもそういう枠にはめられるものではありません。

宮永氏はいずれも、普段の不断の努力や好奇心や積極的な行動によってチャンスを増大できると説き、今回もたくさんの事例でわかりやすく説明してくれます。

今回も本のタイトルはHow-to本っぽいけど、基本的に読者に対して、自分で実例から学べ、と語りかける本です。事実とヒントはたっぷり与えられるけど、考え方を自分のものにしなければ「ひらめき」を生むことはできない、という一貫した姿勢がみられます。

とりあげた実例には、社会人大学院の学生が足で集めてきた日本の中小企業の事例も多数含まれていると、あとがきに書いてあります。成熟産業がひしめく日本で、価格競争に陥らずに自社だけの強みを確立して事業を成長させていくことは、並大抵のことではありません。すぐれた個人の例もあげられてますが、マネして1回くらい自分もひらめけるかな、とは思っても、自分が彼らに太刀打ちできる人物になれるとは思えません。でも企業ってところは、みんなで力を合わせて作り上げていくものです。三人寄れば文殊の知恵と申します。この本の事例を読んで、勇気付けられる会社員もたくさんいるんじゃないかな~。

「中小企業の成功事例集」にとどまらず、そこから何を学ぶべきか、というポイントを加えて、体系的にまとめられているところが、さすが大学教授という感じです。しかも今回も楽しく気軽に読める。

年末年始の帰省の車中にオススメです。きっと駅や空港の書店で売ってると思うんで、手に取って見てみてください。

December 16, 2007

マイケル・ポラニー「暗黙知の次元」98

暗黙知、形式知という言葉がよく経営関係のコンテクストで出てきますが、暗黙知ってのは数字にしにくい金型の微妙な調整具合のことだけをいう言葉ではありません。Wikiが正しいとすれば、暗黙知=Tacit knowledgeという言葉を最初に使ったのは、このハンガリーの学者らしい。

用語ですから、最初にその言葉を使った人の意図を知っても、それにこだわるよりは、汎用的に現在使われている意味で使った方がいいとも思うけど、この本を買ったのは興味があったから。

”われわれが考える知以外に、もうひとつの知がある。言語的・分析的な知に対する非言語的・包括的な知、それが本書でいう「暗黙の知」である。”と、定義はとても広い。五感のすべてって感じです。経験価値マーケティングのタネになるエクスペリエンスとも通じます。

哲学的な、思想の本です。「科学思想家」と、まえがきには書いてあります。アメリカ人の書いた統計的な経営分析の本や、日本の経営者が書いた現実的な本とはぜんぜん違う趣の、思索して思索して思索する本。こんなに考えたら脳みその筋肉が鍛えられそうなくらいです。いくら読んでも難しいけど、わからないというわけでもない。うーむ・・・はっ、なるほど、・・・えーと・・・ああ、わかった。そんな感じで読み進んでいきます。

知の楽しみっていうんでしょうか。Advanced Readerというか、大人の読書家にはお勧めです。じっくりと読んでいくうちに、自分の思考の進め方のクセや強引な部分にすこーし気づかされる、かもしれません。

この本の元となった講義が行われたのは1962年。でも古さを感じさせません。普遍的な真理について、深くふかーく沈み込んで恍惚としてみてください。

それにしても紀伊国屋っていい本出すよなぁ。(リンクはちくま文庫にはってますが)

December 10, 2007

バーンド・H・シュミット「経験価値マーケティング」97

続編から先に読んじゃったけど、こっちのほうが本編です。
絶版でAmazonのマーケットプレイスでは若干プレミア価格がついてます。

しかし!!この本はだめです。内容は弱いし薄いし、翻訳も力足らず。
・・・といつになく悪く言うのは、続編の出来の方がだいぶいいからです。

「エクスペリエンス」マーケティングの例もたくさん出てますが、USローカルものも多いし、日本の例としては、個人的には成功だったという気がしない「WiLLプロジェクト」が引かれてたりする。ぴんとこない例が続くと、理解が深まりません。

いちばん面白かったのは、貼り付けて使うあの「ワンダーブラ」の事例かなぁ。
USの広告では、自立する女性をイメージして「最初のデート。外交政策に反対意見を述べる。最後のデートになる」「さよなら、悪者さん、私じゃないわ、あなたが悪い」というコピーで、ワンダーブラを装着した女性が空を飛んでいるという構図らしい。
一方フランスでは、「女性の服が突然はぎ取られ、ブラが見えてしまったところ」や「犬がセーターをほどいている」「ジャケットが建築用クレーンに引っかかって脱げている」。いずれも、困っている女性を男性の傍観者が見ているんだそうだ。
USの女性は貼り付けるブラで胸を大きく見せるのが自立だと考え、フランスの女性はM願望が強いんだろうか。どっちもイカレてませんか~??

とか考えながら、スタバの脇を通り過ぎて、やっぱりなんかスタバは雰囲気がいいんだよなぁ、よく似たほかのカフェとはどうも居心地が違う・・・と思う。筆者の主張にはすごく実感できるものがあるだけに、この本は効果が出きってないなぁと思います。絶版だし、続編を買って読むことを個人的にはお勧めします。