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January 2007

January 28, 2007

竹内慶夫・編訳「セレンディップの三人の王子たち」52

原典に当たれ、ってことで。

「セレンディピティ」って言葉が飯田橋あたりでひんぱんに取りざたされてる今日この頃ですが、一般に語源としてはホリス・ウォルポールという18世紀のイギリスの作家がとある童話を読んで、登場する3人の王子の賢さにちなんで、「偶然と才気によって、さがしてもいなかったものを発見すること」を「セレンディピティ」と呼ぶようになったのが最初だと言われています。

てことは、さいしょのさいしょは、その童話が原典ってことですね。
ここに、執念深くその童話を探して見つけて、日本語訳を作って出版した人がいます。鉱物学者なんですって、この竹内という人は。「セレンディップの三人の王子たち」と呼ばれるその物語は、エリザベス・ホッジズという人が20世紀に出版したものが比較的よく知られていますが、ウォルポールが読んだのは16世紀にイタリアで出版されたペルシャ童話によるものだと思われるので、竹内氏はそれを探し当てて日本語版を作ったのです。

この本、偕成社文庫から出ていて、表紙の絵もとても美しいし、中身もとても面白いので、童話とバカにせずに読んでみるといいですよ。偶然の力というより、シャーロックホームズやミス・マープルのように鋭い三人の王子の推理力に感動します。

Serendipというのは、スリランカ、つまり昔のセイロンのペルシャ語名だそうです。この童話は、見知らぬ国セレンディップを夢見ながら、ペルシャの人が考えた物語である可能性が高い。王様に妃が何人もいたり、どうみてもセレンディップは隣国と陸続きだったり(馬で王子たちが国境を超えるんですよ)、実際のスリランカ(島国)を知らない人が書いたというロマンチックな匂いがたちこめています。

セレンディピティ、現代日本語訳すると、「スリランカっぽさ」みたいなものでしょうか。あ、興ざめですか?

一点だけ、どうしてもツッコミを入れたいので言っていい?
p60 「王子さんそれ違うがな、ジャンケンでハサミはカミに勝つゆうの知らへんかったんかいな」

以上。

January 24, 2007

川喜田二郎「発想法」51

KJ法というアイデア分類手法を知ってますか?私は知らなかったんだけど、この本を読むとどうやら昭和40年代~50年代に一世を風靡したらしいです。学校の授業でこの練習をしたときに、やっぱ原典に当たろうと思って本を買いました。

KJ法とは?・・・簡単にいうと、大学の助教授であった川喜田氏が、アジアのフィールドワークで拾い集めた雑多な発見を、どうやって体系化するか?と試行錯誤するうちに編み出した、アイデア分類~コンセプト創造に至る作業のやり方です。形式的な方法論のほかに、哲学といえそうな部分もあります。フィールドワークから始まった手法らしく、生のアイデアの本質を殺さずにどうやってまとめるか、余計な思惟を排して、事実の中から浮かび上がってくるものをどうやって捕まえるか、というところに力点を置いています。

どうしても、すでに知っていることを当てはめたくなるんですよね、人間はみ~んな。そうならずに、初めてその言葉を見た子供のような気持ちになって、言葉自体に語らせることが大事なんですね。・・・というところで、とても共感できます。自分にKJ法ができるか?と言われると、できそうにも思えるし、難しそうにも思える。やってみないとできるようにならない、ということだけは、わかる。

形式的な方法論としては、アイデアの1つ1つをカードにどんどん書いていきます。で、全部ずらっと並べて、共通項が見えてきたら、それに従って分類をして、それぞれに見出しを付ける。・・・という風にどんどん大きな分類をしていきます。これ以上まとめられないというところで、残ったカードの山から浮かび上がってくるアイデアを検討する。アイデア出しだけならそこで終わり、論文ならその後、それを掘り下げて文章にしていく・・・という作業が必要になる。といった感じです。

本ではカードを使ってたけど、授業ではポストイットを使いました。PC上なら、OneNoteみたいなソフトを使うといいのかもしれない。
要はちゃんとまとめることが大事で、形は何でもいいと思う。取扱は楽に越したことありません。
いま、「続・発想法」という本も買って読み始めてます。読み終わったら、プロジェクト研究のアイデアをこれでまとめてみようかな・・・。

(上記のまとめだけでも、すでにおそらく本当のKJ法から逸脱してるんだろうな)(なんかとても厳密らしく、学会まであるそうです)

マインドマップなんてのもあったね。こっちは、ひとつのコンセプトワードからどんどん広げていくときに使うものでしょうか。どうやらこっちも厳密な定義があるらしい。うーむ。

50 Good Books

50冊読み終わって思うこと。
世の中には、本当にいい本と、そうでもない本があるなぁ。
いい本になるべく当たるようにするには、尊敬できて、かつ自分と関心の方向性が近い人を見つけて、本を薦めてもらうのがベスト。これは音楽と同じです。中村とうようだとか、ピーターバラカンだとか、自分の好きなミュージシャンを推してる評論家をみつけて、その人の推してる他のミュージシャンを聴いてみたりします。渋谷陽一にだまされてポップグループのLPを買ったゼッペリンのファンとか。

本もやっぱり、「この人が薦めるんだったら読んでみよう」と思える人に出会えるといいのだ。ただ、本はそれよりも、個人の趣味によらない、よい・わるいという部分の共通性が高いような気がする。とにかくたくさん本を読んでる人に訊くといい。それから、「原典に当たること」がとっても大事。(と先生方も言ってる。)派生したものではなく。

音楽だと「ジャケ買い」という言葉があって、昔は大きくて美しいLPジャケットに魅かれてムダなレコードを買ってしまうやつがよくいました。私の場合、ジャケットが好きでも音楽は???ってことが多かった。本でも小説だと装丁で買っちゃうことがあるし、タイトルでうっかり買うものもある。やっぱ失敗も多いけどね・・・。

そんなわけで、書評とか読書家の薦めるものを今後もぼっちぼっちと読んでいこうと思います。

January 18, 2007

小倉昌男「経営学」50

栄光の?50冊目は、クロネコヤマトの宅急便~♪を作った人の本です。

ヤマト運輸は彼のお父様が興した会社で、戦前戦後を通じて関東一円の近距離輸送で成功してたんだけど、遠距離輸送で出遅れたためジリ貧になってきていた。三越の委託先としてたくさん仕事をもらってたのは、最初はよかったけど、あの岡田社長の下請けいじめに耐えかねていたときに、宅急便というビジネスを思い立った。最初は「郵便小包があるんだから、ぜったい採算合わないって」と社内外から反対の嵐だったんだけど、要は運送業ってのはトラックと人員をどう効率的に使うかということだと割り切って効率の高いロジスティクスを作りだし、迷ったら社是の「サービス第一、利益第二(何を第二にして捨てるかを書かないと意味ないんだって。なるほど)」に立ち返って、あくまでも良いサービスにこだわった結果、顧客が付いてきてくれた。
・・・まとめると、そんな感じです。

面白かったところ:
P39 「トレーラーシステムの導入」、p43「ロールボックス・パレット」の導入・・・トラックってものは走ってなければただの大きな荷物なのだ。なるべく長時間走らせるためには、積み下ろしにかかっていた1回2時間半という時間を最短まで切り詰めなければならない。トレーラーってのは、コンテナを積んで走る車なので、トレーラー車1台に対してコンテナ部分を数台買って、ステーションでは「すでに荷物を積み終わったコンテナの交換」だけを行うようにした。またコンテナの中には定型の車輪つき「ロールボックス・パレット」を積むようにしたので、車輪の高さの分隙間が増えたが、作業がぐっと楽になった。・・で、2時間半かかっていた荷積み作業が合計5分で済むようになった。

P41 「乗り継ぎ制」・・・東京大阪間の長距離輸送は3日かけて往復してたのを、中間地点の浜松で上りトラックと下りトラックのドライバーを入れ替えるようにして、2日で往復できるよう改善。輸送会社の中でもヤマトは本社が東京なので、労働者の意識も高く賃金も高かったので、長距離労働によるサービス向上ってのはできなかった。そのためにがんばって工夫したことが、労働者にとっても会社にとっても顧客にとってもwin-win-winな結果につながった。といういい話。

P68 個人宅配のアイデアの芽生え。P75~「宅急便」の商品化の過程。・・・小倉氏は当初、需要があるということと、赤字から始めてどうやっていつごろ黒字転換するか、ということばかり考えてたようですが、フタを開けてみたら「家庭の主婦はありがとうと言ってくれるし、現金で支払ってくれる」というメリットが初めて見えてきて、ドライバーの士気はあがるし、借入金で真っ赤だった会計がどんどん改善していったんだそうです。そういうことって大事なのよね。

P140 昨今の安易なリストラに対して。「会社はそもそも社員をなぜ雇っているのだろうか」事業を行うことで世の中に貢献したいという気持ちでやっているのなら、心を痛めずに社員を解雇したりできないはずだ。といいます。労働組合と向き合って話し合うやり方で、会社を一つにすることに成功した人が言うので、説得力があります。しかし私はそういう会社で働いたことがないような気がするなぁ~。アメリカの会社だから、ってのもあるけど、サブにいるというのも不利だ。会社の大きなことを決める人たちには、身の回りのことしか思い至らない人も多い。

P188 「赤ちょうちんで上司の悪口を云うのは、会社が好きだからだ。嫌いならさっさと帰って家族と過ごせばいい」そうかもね~。「ただし、陰口だけ言っていてもよくないので、それを表に引っ張り出すのが経営者の仕事だ」さらにその通りだ。

P193 労働組合と仲良くやっていたおかげで、顧客が「お正月も休まずにやってくれ」というのに応えて、労働組合の方から「社長、年中無休にしましょう」と言ってきたらしい。すごいなぁ。

てか労働組合って何をするための団体?無知でバカだから理解できてないところもあるけど、そういうのがある会社にいたことがないから、よくわからないんだよなー。

以上。

January 06, 2007

本田宗一郎「夢を力に」49

言わずと知れた自動車のホンダの創業者、本田宗一郎が1962年に日経新聞に連載した「私の履歴書」(そんな昔からあったんだ!)に、その後1973年に社長を退任するまでの仕事をつづった第二部、「本田宗一郎語録」第三部を加えて作った本。

出版されたのは2001年と新しいんだけど、昭和37年当時の血気盛んな時期の本人の筆による「私の履歴書」も新鮮で、時代の雰囲気を生き生きと伝えています。

彼について書かれたものはたくさんありますが、「ひらめきの設計図」とかと違って、やんちゃぶりがそのまま書かれてる点で、この本は秀逸!神出鬼没に作業場に現れては、気に入らないことがあると定規でもスパナでも投げつけるとか、芸者遊びが好きでさんざっぱら遊び倒してたら、ある日生意気なことを言う芸者がいたので酔った勢いで2階の窓から投げ落としたら、電線に引っかかって止まったおかげで命拾いをした・・・とか。某先生から聞いたような生々しいエピソードがたくさん載ってます。

「私の履歴書」を書いたのは、ホンダが初めて4輪車を発売した、56歳のとき。当時すでにホンダ創業1946年)から16年ではあるけど、創業時40歳だから年齢のわりに会社が若い。それに、ずいぶん早く半生記を書いてしまった、ような気がします。でも社長を引退した1973年は創業後27年なので、ビルゲイツは自分が作った会社を本田宗一郎より長くやっている(1975-2006、すでに31年)という計算です。ビルもパートタイムになったら「私の履歴書」書いてくれないかなぁ。

以下、例によって備忘録です。

第1部「私の履歴書」
p79 1951年頃のはなし。輸出振興と合わせて輸入防止を政府に頼むための民間業者の会合があったが、彼は参加しなかった。「安易な道を選ぶことに強い反発を感じたからである。これはわれわれがあくまで技術によって解決すべき問題である。日本の技術がすぐれて製品が良質であるなら、だれも外国品を輸入しようとは思わない。また黙っていても輸出は増加するはずだ。」その通りだな。マーケティングの巧拙も含めて。最近の規制緩和とかの政策をみてても、日本のみんながもうかって幸せに暮らすっていう最終的な目的を忘れてるような気がする。お上にすぐ頼るのもダメだし、お上が意味不明な施策をするのもやめたほうがいいと思う。

p104 「私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。」同じことをソニーの人も言ってたなぁ。破壊的なイノベーション=ハチャメチャで荒削りで超おもしろいこと、は、大量の失敗あってのことなんだろうな。失敗を恐れちゃいけない。

第2部「履歴書その後」
あとは本田氏ではなく日経の名和修という人が書いてるんだけど、この辺から「本田宗一郎の右腕」藤澤武夫氏にも焦点を当てます。この人ずいぶんよく調べていて、ホンダって会社の日々のようすが目に浮かぶようです。前半の独白とこの部分の客観的記述を比較して読むとおもしろい。

p156 「本田が千両役者なら、藤澤は名演出家だった(のちの副社長、川島喜八郎の言葉)」ホンダの場合藤澤氏がいなければここまで大きくなることはなかった、と断言できそうな、経営の天才です。この人の著書『松明は自分の手で』から何度も引用してあって、こっちの本もぜひ読んでみたいと思います。
注:残念ながら絶版。Amazonマーケットプレイスでも見つかりません~。でもほかの著書『経営に終わりはない』は入手可能なので、こっちを読んでみよう。

てか、私もミニ宗一郎に出会って、プチ藤澤になりたいなぁ。

p188 ホンダは研究者のインセンティブを常に大切にしている。
・・・ときどきこれを不思議に思う。Googleにしろアルモニコス・エリジオンにしろ、どこの会社にも研究者以外の社員もいるでしょ?営業、マーケティング、生産、サポート、総務、経理、etc。「売り上げよりものづくりに力を入れる」と言いたいのかもしれないけど、研究よりもっと日の目を見ない部署の人たちは、そういうのを聞いてやる気が出ると思う?事務員とかパートのおばさんとかも含めて、全員を大切にする企業がいいな、私は。この点については、労働者階級出身で、パートの人にも健康保険加入をみとめたマイケル・デルの方が好きだ。

p197 「アメリカの消費者は国籍、企業の大小を問わず良い製品であるなら先入観抜きで評価し、購入する。」そう、これが日本が日本の人の実力を生かして国力を高められない原因。商品だけじゃないよ。日本古来の一流企業の方が従来(今は知らないけど)新入社員の家柄とか出自にうるさくて、外国人や学歴の低い人に冷たい。女性の活用も遅れがち。で、そういう人たちが外資系企業に流れる。税金も知的財産権も外国がもっていく。
・・・日本古来のえらい人たち、もうちょっとちゃんと国力ってことを考えた方がいいよ。ほんとに。

p199 藤澤氏の英断。本田・藤澤の同時退任後のホンダの経営を憂慮し、あとを引き継ぐ4人の取締役が取締役業務に専念してホンダの将来をじっくり検討できるように、ライン業務からはずした。つまり、ふつうは「取締役xx本部長」ってついてるでしょ。そのxx本部長の部分をはずしたんだって。なかなかできないよね!こういうところがこの人は天才的だと思う。

第3部 「本田宗一郎語録」
p222 芸術に対する考え方が、共感できます。いい悪い=好き嫌いなんだよね。すべての人に受け入れられるアートがあるわけない。

p237 消費者はしろうとだから、何がほしいかというアンケートをとってもいい製品は絶対作れない、という。自分たちの方がものづくりのプロなんだから、消費者が何を求めているかを自分たちで考えるのだ、って。そうなんだよね。顧客志向ってのは、ばかみたいにただ顧客に聞くことでは実現できないんだな。

・・・というわけで、読んでて元気が出てきて、おもしろい仕事をするゾ!という気にさせる、すばらしい本でした。すぐ読めるし、オススメです。A+です。

January 03, 2007

ニール・ガーシェンフェルド「考える『もの』たち」48

48冊めで年越しだ。
これ に続いて、ニール氏の本をもう一冊読んでみました。こっちの方が古くて、1999年に書かれています。「ものづくり革命」は2005年だから、6年前ですね。この人、いま注目してるんですよ。ものづくり関連で。あと、中村伊知哉 とか。

でも、この本はほんとうにニール氏の雑感の寄せ集めで、あとに出版された「ものづくり革命」の方がまだテーマが絞れてるというのが感想です。あっちは少なくとも「どんな人でも自分のほしいものをすぐに作れるキカイ」というものに絞って書いてある。一方こっちは、「ウェアラブルPC」や「スマートマネー」ということの概念について描かれている部分が多いんだ。

スマートマネーという章では、株や為替や先物取引によって得られる利益や損失というカネは、労働で得た1ドルでパンを買うといったカネと性質や価値が異なるので、数値上だけのカネとモノであるカネとを区別しようというようなことを言ってる。・・・書くならもっと本気で、経済学者と組んで現状分析にコストやリソースも費やして、みっちり研究し尽くしてから自分は何を提案するかまで書いてほしいんだ。エッセイを読むつもりでMITの教授の本を買ったわけじゃないんだぞ、こっちは。

あとさ、基礎研究を楽しく続けていると、だんだん世の中のニーズから遠ざかることがある。この人たちはMITのメディア・ラボで、「作るのが楽しい」ものをただ作ってるだけじゃないの?という風に見える部分があるんだなぁ。これが実現したら、いま困ってる人たちがどんなに喜ぶか、どんなに助かるか、という視点って大事なんじゃないかと思う。(cf.必要なものを作る・・・三鷹光器会長)

p32-34 ハーバード大学のワイドナー図書館は、世界で唯一、世界共通の分類に沿って分けられていない。それは分類方法が確立する前にできたからだ。これを電子化できたらすごい、と書いてある。その後GoogleやMSがやった電子化にこの図書館は含まれていたんだろうか。ハーバードは含まれてたハズだけど。

Googleからここにリンクしてあったけど、ワイドナー図書館が含まれるかどうかは書かれてませんね。ふつうに考えると含まれると思うけどね。

p54 ヨーヨー・マとのコラボ。弓の動きを感知する高性能センサーをたくさんつければ、チェロ本体がなくてもチェロが鳴らせる、というもの。「彼は自分の腕を演奏してみせた」これはもしかして、有名な「人間チェロ」?・・・と思って調べたら、たぶん違った。人間チェロはナムジュン・パイク、というかフルクサスという人たちでした。・・・フルクサスって何?

p134
カオス理論というものを理解しない人たちがみょうな使い方をして、言葉が独り歩きしている、と説明する箇所で、正しいカオス理論の例として、『天気予報が当たらないのは、予報官が賢くないからではなく、天気を予測するのが根本的に不可能だからだ、という驚くべき可能性が提起された』だって。そんな大変な理論を使わなければわからなかったんだろうか。

天気という結果を引き起こすファクターが特定されて、それらの因果関係も特定されたら、少しは予測可能になるかもね。いまの天気予報は、星占いと同じで「当たるカモ」ってところで。

天気ってのは数式じゃなくて「人の運命」とか「地球の未来」に近いものなんだから、予測可能だという前提で研究を始めること自体がナイーブ過ぎるんじゃない?えらい学者さんってのは時に、当たり前のことを難しく研究したがるものだ。

p160
同様に、人工知能の可能性について語る部分で、「問題は、目も耳も口も不自由なコンピュータには、世界を理解する可能性がないということだ。」つまり、人間が五感のすべてでインプットを受けているのと同じものをコンピュータに与えることはできないから、人間の脳に近いものを作るのはまだ当分難しいって言いたいみたい。・・・これをいうために何十ページもついやしてて、冗長。

・・・って感じで、どうも現実から遠く離れてるところがある。私は日本の中小企業が食って行けるようになるためのテクノロジーの話がしたいんだよ~~。

以上。