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August 2006

August 29, 2006

R.P.ファインマン「ご冗談でしょう、ファインマンさん」(上)29

ノーベル賞をとった量子力学の権威、リチャード・ファインマンが、自分がいかに小さいころからユニークでイタズラ好きだったかを語る、軽妙なエッセイ集といったところです。凝り性で変わり者の科学者の生活が生き生きと描かれています。

教科書をそのまま理解できなければ、自分で勉強して書き直す。
ふむ。わたしもよく教科書が理解できないんですけど、てって的に研究し尽くして自分で書くとか、先生に議論をふっかけるようなことはしませんでした。ただ呆けて、わかんねーと思っていただけです。しかし、相手のいうことが理解できないときは、自分に問題がある場合もあれば、相手に問題がある場合もある。相手に問題があるということを証明できれば、自分の勝ちです。そこまでやれれば、わたしも今頃ちょっとはみんなに尊敬されるような人間になれていたのでしょか。

しかし、そこまで人とてってー的にぶつかるのは大変だ。たいがいの人は、感情的にでなく純粋に中身だけの議論をするのが苦手だし、やろうとしないとしても無理はない。ファインマンさんは、奥さんが結核で亡くなったときのことを、「一般的にそういうときに感じると思われる感情が自分にはなかった、家内の体に何が起こったかを考えていた」と書いています。あったかいとかつめたいということではなく、どういうときにも対象物を観察して分析しようとしてしまう、それに集中してしまう、というメンタリティが、ノーベル賞をとるほどの科学者なんだろうなぁと思います。「何ヶ月もたってから、ショーウィンドウの中に彼女が好きそうな服を見たときに、初めて激しい悲しみに襲われた」と彼は書いています。

ファインマンさんは、原爆の開発者です。世界中の頭脳を結集したロス・アラモス研究所で、まるでMicrosoftやGoogleの若きデベロッパーのように無邪気に一生懸命に、彼らは研究開発を続けました。ときにイタズラをしたり、仲間を笑わせたりしながら。それが完成したときに、所内でささやかなパーティをやったのだそうです。自分も浮かれていたが、その中で1人だけ、自分は何てものを作ってしまったんだろうと沈んでいる人がいた、ということを彼はこのエッセイにちゃんと記しています。後でこれを書くときに、その人の反応について書き残しておくべきだと思ったのでしょう。

ファインマンさんは何度も日本に来ている親日家で、日本人にもファンが多いのだそうです。
・・・原爆の開発者だよ?
もちろん、彼が悪いんじゃないし、原爆を落としたエノラ・ゲイの操縦士が悪いんでもない。でも、中国や韓国やアラブ諸国の人たちと比べて、あまりにもあっさりしすぎている、という気もする。アメリカの会社にもう12年も勤めているわたしの昔の同僚に、長崎出身の人がいました。彼女のカウンターパートのアメリカ人のおじさんは、とってもいい人でした。「私はアメリカ人は嫌いだけど、あのおじさんは好きだ」という言い方を、彼女はよくしていました。なにかあるとすぐに「アメリカ人は嫌いだ・・・」というのを見て、アメリカの会社で仕事してるのに子供っぽいなぁとよく思ったけど、彼女にはどうしてもこだわり続けたいことがあったんだろうなぁ、と今は思う。

出張でアメリカから戻る飛行機の隣に、韓国の基地に赴任する、テキサスの素朴な若いソルジャーが乗ってて、話をしたことがあります。南部ナマリのひどい彼は、最初は家族の写真を嬉しそうに見せてくれたりしてはしゃいでたんだけど、日本に近づくにつれて、「本当は行きたくない」って、声もかけられないくらい沈み込んでしまった。

そういういうやさしい人たちが、爆弾を作ったり、それを落としたりしなきゃいけないのが戦争なんだ。戦争なんかしちゃいけません。

・・・あれ、そういう本じゃないんだっけ(笑)
下巻も読みます。課題もまだたくさんあるけどね、、、

August 22, 2006

トム・ケリー&ジョナサン・リットマン「発想する会社!」28

IDEOという会社があります。業種でいうとデザイン会社。なんでもデザインしてしまう会社です。AppleやMSのマウス、ショッピングカート、心臓発作を起した人のための除細動機もデザインします。副題は「世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法」。

紙質もよく写真が多く、全ページカラーのきれいな本です。でも、もっと大判で字が少ない、絵本のような本でもよかったと思う。ビデオならさらにいい。百聞は一見にしかずなんですよ。彼らがショッピングカートをどうやってデザインしたかを取り上げた番組が評判を呼んだらしいんだけど、私がみたいのもそっちです。彼らが本当のところどんな風にイノベートするのか、テキストで語られてもわからないから見てみたい。

言葉はすこし、繰り返しが多く、文字数は多いけどちょっと読むのが面倒な感じがします。

あとね・・・彼らのすばらしいデザインの数々が掲載されてて、彼らの実用本位、プロトタイピング中心の考え方も共感するんだけど、失敗しそうだなぁ、と思う部分も多い。彼ら自身、たくさん失敗もした、高い授業料を払った、ということを認めていて、それはとてもいいことなんだけど、「種が仕込んであって芽が出るプラスチック製の名刺」とか、なんかジャマだしあげても迷惑がられそうで、私はぜったい欲しくないなぁと思うものもいっぱいある。

「オブジェ」というものを欲しいと思う人って人口の何パーセントくらいいるんだろう。アートのために高いお金を払い、広いスペースを開け、複雑な形のすみずみまで毎日掃除して、来客にその都度説明することを厭わない人。
私は「遊び心」というものがない方ではないと思うけど、オブジェというものはジャマだとしか思わない。

一方、エルゴノミクスとやらをよく研究したマウスならちょっと高くても買う。オブジェはいらないけどステキな版画ならあってもいいと思う。・・・うーんと、以上でわかったことから、私は多分不規則な形が嫌いで、視界を大きくさえぎったり片付けが難しくなるようなものを管理できないのだな。マウスくらい小さいものなら、どんなに変な形でもたいしたジャマにはならないから。

そういうわけで、この本には「待ってました!」とばかり共感する部分と、「あーあ、またこういうのかよ」って毛嫌いする部分があります。

役に立ちそう、というか、立てたい部分は、ブレインストーミングのやり方。ほぼ毎日ブレストしてる人たちが書いたものなので、なるほどと思います。

クリステンセンお気に入りのイノベーター、Sonyの人たちも、「うちにはどうにもならなかった失敗作もたっくさんあるんですよ」って言ってた。クリステンセン本人に(笑)。多分イノベーターの内情は、どこもそういう瓦礫の山なのかもしれません。うーん、正直なとこ、イノベーションはいいけど瓦礫の山はイヤだなぁ。

私はまだ彼らの仕事のヒントがつかめていないかもしれません。そんな印象の本でした。

August 21, 2006

瀬戸内寂聴「あきらめない人生」27

夏休みですから。一応。「集英社文庫 夏の一冊」の中から選んでみました。(レポートも書きあがってないのに)

じつは数ヶ月前に、午後半休をとって、寂聴さんの講演会にいってきたのですよ。感動しましたね。若々しくて美しいし、あったかくてポジティブ。「いいのよいいのよ。だいじょうぶだいじょうぶ。」と思えるようになることを、サトリの境地というのでしょうか。

小説から何から、とにかくよく書く人ですが、この本はエッセイ集です。1990年前後に書かれたものなので、時代がかったものも多い(若花田と貴花田とか)のと、当時この方はお寺をひとつ再建し、女子大の学長も勤めつつ、連載を5本だか7本だか持っていたということで、読んでいてもなんだか忙しい気のするエッセイばかりです。今はそれほど忙しくはされてないはずなので、もっとゆったりした読み物を読んでみたい気がします。忙しい身としては、読書でふだんと違う世界につれてってほしいんですよね。

しかしやわらかい尼さんです。お会いした誰々さんはいい男で、誰々さんは大変な美人だとかといった話が多いし、昔の人たちの経歴を語るときにかならず色恋ごとにも触れます。「人間の生は性によって発生し、性によって育ち、性によって終焉を遂げるのです。人生から性を差し引いて、なんの生きがいがあろうかと思います。私はれっきとした仏教徒ですが、この点だけ、お釈迦さまの教えと少し違う考えを持っています。」と言い切ります。お釈迦様のお考えはこの後に書かれていて、人間の煩悩の一番苦しいものは渇愛だから、それを滅ぼさない限り、心の平安も真の幸福も得られないというのだそうです。

でもチベット密教なんかだと結合仏もあるしね。そればっかり見ちゃうと初心者が誤解するからお釈迦様も用心深かっただけかも・・。

あと何冊か、小説も読んでみよう。

August 03, 2006

高柳和江「死に方のコツ」26

ビジネス書は一回休み。
この本のタイトル、私が書くと「完全自殺マニュアル」系?と疑われそうですが、ぜんぜん違います。著者は日本医科大学助教授、お医者さんです。ものすごく含蓄の深い本なのですが、ひとことで言うと、人は死ぬときどうなるか、肉体的にも精神的にも、わかっている範囲で説明し、人は必ずみんな死ぬのだから死を恐れずに生きられるだけ生ききりましょう、とアドバイスするというのがこの本の趣旨です。

なんで私がそういう本を読むかというと、とある会でこの先生の講演手配を手伝ったからです。本当は、絵門ゆう子さん、以前NHKのアナウンサーだった池田裕子さんです、彼女と高柳さんとの対談のはずだったのですが、直前に絵門さんが亡くなったので、高柳さんだけに講演をお願いしました。

絵門さんも体のあちこちをガンにおかされながら、精一杯楽しみぬいた人です。高柳さんは、そういう生き方をサポートし、いまの医療の冷たさや誤解をはっきりと指摘します。ああいう世界はきっとヒエラルキーが固まってて、その中であれほど明確に批判的なことを言い続けるのは、大変な勇気だと思う。講演でもそんなお話をしてくださいました。春の新芽のような薄いグリーンのスーツにストールを肩から斜め掛けし、ミニスカートにピンヒールで、スライドを映し出した舞台を自分が歩き回って講演します。なんだかすごい人が来たなぁと思ったのですが、クウェートで死んでいった子供たちや、ホスピスで会ったガン患者の方々との出会いによって、彼女が自分で直接知るようになったいろいろな大切なことを、誰にでもよくわかるように話してくれました。「患者患者って、ひとくくりに言うのはやめてください!」と、医学生のワークショップに呼ばれた絵門さんが言うと、その場がしーんと静まり返りました。人を研究対象としてしか見られなくなっていたことに気づかされた・・・ワークショップ終了後、学生たちが絵門さんを囲んで口々に感想を言い合ったのだそうです。そんなエピソードも話してくれました。

私はどうか?というと、小さい頃は病弱で、なんとなく長くは生きないと自分で思ってたので、死ぬことは怖くなかった。病気なのも、そういうものかと思ってました。小さい子供が病気だとかわいそうだと感じるのは、大人のサガなんだなぁ、と。でも、成長するにつれて、だんだん死ぬことが惜しく思えるようになってきました。今は自分に近い人たちの死を経て、人が死ぬということを重く受け止められなくなってきています。いなくなった気がしなくて。人はすこしずつそうやってまた、来るべき死というものの準備をすこーしずつ、進めていくのかなぁ。

とにかくこの本は、元気なうちに一度読んだ方がいいです!